+夕日に焦がれる●+





 

夜を生きる彼らは朝に眠りにつく。
夜の賑わいと朝の賑わいは全く別の種類で、街は明るい活気に満ちていた。
昼になればその賑わいはピークになり、道には露店が並び、人々の目をひきつける大道芸人や、果物を叩きうる行商人まで。
今は朝早いせいだろう、ちらほらと準備を始める屋台の姿を見かけるのみだった。
朝の冷たい空気の中、屋台からは美味しそうな匂いの湯気が立っている。
菊はその中の一つである、馴染みの屋台に顔を出した。

「おはようございます」
「おう!おはよう菊ちゃん!」
夜は酒を、朝は簡単な朝食を、昼にはお弁当を売っている。
いつ眠っているのか常々疑問だが、気のいい親父さんは常に元気だった。
「ミルクと、ジャガイモにバターをお願いします」
「昨日の残りでよけりゃオマケしとくよ」
「ありがとうございます」
すぐに湯気の立つミルクが差し出された。
ジャガイモが出てくるまでの間、親父さんとのんびりと談笑する。
「今日は学校は?」
「試験休みなんです」
言えば、親父さんはにやりと笑った。
「聞いたよ。共通模試一位おめでとう!」
「え、あっありがとうございますっ。誰から聞いたんですか?」
「もうみんな知ってるよ」
「みんなって・・・」
「この街の人間全員が」
菊がびっくりして辺りを見回すと、辺りにいる人はみんな笑って手を振った。
花売りのおばさんが大きな声でおめでとうと叫べば、無愛想な靴磨きのおじさんが無言で親指を立てている。
唖然とする菊に、親父さんは笑いながらジャガイモを差し出した。
新聞紙に包まれたジャガイモはほこほこと湯気が立ち、バターがたっぷりと乗せられている。
「持ってきな。お祝いだ、金はいらんよ」
おまけに紙袋を持たされる。じんわりと温いそれは作りたてのサンドイッチのようだ。
菊が慌てると、親父さんはからからと笑った。
「なぁに。どうせ残り物だからな」
遠慮する暇もお礼を言う暇もない。
いきなりぐいっと腕を引っ張られて、びっくりして振り返る。
見れば、こちらも顔なじみの野菜売りのおばちゃんだった。
「ちょいと!菊ちゃんを独り占めしないでおくれな」
「お姉さん」
礼儀というか処世術というか、おばちゃんという言葉は存在しないものだと教えられた菊である。
そのせいか、3人の子持ちであるおばちゃんもお姉さん呼び。
おかげで猫かわいがりされている。
今もおばちゃんは相好を崩しながら、菊に新鮮で瑞々しいトマトの入った袋を持たせてくれた。
「報せを聞いたときから嬉しくってね。あの悪ガキと食いな」
次々と「おめでとう!」の声がかけられ、その度に様々な品を渡される。
目を白黒させるうちに、菊の両手はあっというまに祝いの品で埋まってしまった。



○●○●○●○●○●○●○●○




両手いっぱいに荷物をかかえた菊は、えっちらおっちらゼィハァとユウヒのいる場所までやってきた。
そこにカリエドがいることにも驚いたが、菊の荷物を見たカリエドはもっと驚いていた。
「どないしたんその荷物」
「カリエドさんこそ、いつもは寝ている時間なのに」
「昨日どっかのアホが暴れよってな。寝る暇無かってん」
カリエドがふわーっと盛大な欠伸をしながらも、菊の手からひょいひょいと荷物をとりさっていった。
「一人逃がしたしな。しくったわー・・・」
「お疲れ様です」
「探すんめんどいなー。仕返しにきてくれたら楽やねんけど」
カリエドは苦笑しきりの菊からほとんど荷物をとりさると、、そこから漂う美味しそうな匂いに首をかしげた。
「どないしたん?これ」
「実は・・・」
話を進めるにつれ、カリエドはなんとも楽しそうに笑った。
「それでそないに大荷物やったんか」
「はい」
ユウヒはぱたたたた、とちぎれんばかりに尻尾を振っていた。
テンションは最高潮である。
なにせ、菊は両手いっぱいに美味しそうなものを持ってきたし、常なら夕方にならないと来ないカリエドまでいる。
「くぅん」
ユウヒの甘えたような鳴き声に、カリエドは笑いながらエサを出してやり、「よし」を言ってやる。
お待ちかねの「よし」に、ユウヒはエサにかぶりついた。
みんなの差し入れのおかげで、今日の朝ごはんはごちそうである。
見事なまでの食いっぷりを披露するユウヒの傍で、菊も朝ごはんにすることにした。
紙袋に手を突っ込みながら、カリエドの瞼がとろとろとしている。
菊は心配そうにカリエドの顔を覗き込んだ。
「一眠りなさいますか?」
「うんにゃ。菊と朝飯食べるー」
半分閉じた瞼で、それでもカリエドはまだ温かいサンドイッチにかじりつく。
眠たげな目が驚いたように見開かれた。
「うおっ。んまっ」
菊は笑いながら、カリエドにならってサンドイッチにかじりついた。
瑞々しいレタスと半熟卵の色彩が猛烈に食欲を刺激する卵サンドだ。
予想を裏切らない味に菊の顔がほころぶ。
「あそこのおじさんのサンドイッチはぴか一なんですよ」
「ひあんはったわ〜」
カリエドはもごもごと口を動かしながら感心している。
網状の焼き目のついた分厚い肉は、ごまのタレを使っているのだろう。
バゲットの麦の香りとあわさって、なんともいえない良い匂いがしている。
一つでバゲット半分ほどもあるそれを、一気に半分ほどたいらげてしまう。
「ん」
カリエドは当然のように半分を菊に渡した。
「いいですよ。カリエドさんが食べてください」
「アカン」
カリエドは心なしか表情を引き締めて、半分になったサンドイッチを菊に差し出した。
「『半分こ』」
菊の眼を真っ直ぐに見つめて言いきる。
カリエドのその意志の強い瞳は出会った頃から変わらない。
そして『半分こ』の習慣は、今でも二人の間に残っていた。
菊は目元を和ませて、かわりに残り半分となった自分のサンドイッチを差し出した。
「じゃあ、はい」
「おおきに」



昔は、自分達の食べるものを確保するだけで一苦労だった。
一日中食べ物を探して歩き回り、得られるのは硬い木の実、痩せた草の根、ごく稀に獣の卵が得られれば御の字で。
それでも二人は僅かな食べ物をずっと『半分こ』し続けていた。
血の繋がりのような目に見える確かな絆が無いかわりに、飢えや喜びを分かち合うことで互いの絆としていたのだろう。
やがて無力な少年時代を脱し、身を守る力を、身を立てる知恵を、それぞれに得た後も。
二人はずっと『半分こ』してきた。



「一緒に朝ごはん食べたのも久しぶりですね」
「せやなぁ」
一息ついて空を見上げる二人の傍では、満腹になったユウヒが満足そうに寝そべっていた。
くぁ、と気持ちよさそうに欠伸をしている。
「最近は一緒にメシ食う機会も無かったもんな」
朝はカリエドが寝ている。
昼は菊が学校だ。
会えるのはそれこそ夕方くらいで。
結果的に、自然と二人で食事する機会は少なくなり、半分こする必要もなくなっていた。
今は充分に食料が手に入り、飢えることもない。
「昔からは想像も出来ませんね」
笑う菊に、カリエドはふと昔のことを思い出した。



毎日毎日、その日の飢えをしのぐための食べ物を探し回っていたみんなに、菊は言った。
その日の飢えをしのぐよりも、その先を見越した食べ物を作ろう。
気まぐれな自然の恵みに頼っていては、いつか必ず皆が飢える日が来る、と。
ユウヒにエサを分け与えている時以上に、周囲は菊に奇異な目を向けた。
実が成るのを待つよりも、その草を食べた方が飢えを凌げるだろうに、と。
菊に協力したのはカリエドただ一人だった。
周囲が食べ物を探し回っている間、二人は土を耕し、種を植え、水を汲んでいた。
食べるものの他に、植えるものもみつけなければならない。
二人は周囲よりも更に酷い飢えに耐えなければならなかった。
そんな生活がどれくらい続いただろうか。
やがて実が成り、枯れた植物は大地を肥やし、次の実りへと繋がった。
だんだんと収穫は増え続け、飢えをしのぐどころか僅かながら備蓄もできるようになって。
それにつれて二人の周りには人が集まってきた。
今更すまないと頭を下げる者、収穫物だけを狙おうとする者、それら全てに菊は手を差し伸べた。
知識を惜しむような真似をせず、全員に「どうやってこの収穫を得たか」と試行錯誤したその結果を教えた。
教えを請う者は順調に増え続け、それに比例して人も増え続ける。
招いた治安の悪化の中で、カリエドはその力と頭角を現した。
菊の提案で、カリエドは自警団のようなものを結成し、皆に商売の安全を保障してやったのだ。
後の流れはそれこそ怒涛のようだった。
ぽつぽつと点のように生まれていた集落が、人が増えるにつれて線で結ばれて、やがて街と呼べるにまで育っていった。
風を遮るものすらなかった乾いた土地は、人の熱気が耐えることのない街へと変貌したのだ。
そうして生まれた夕日に染まる街を眩しそうに見つめ、菊は笑って言った。
カリエドはいまだにその時のことをありありと覚えている。
「カリエドさんがいなかったら私は今ここにいません」
それこそ自分が菊に言いたかったことだと、言葉を喉につまらせたまま滲む夕日を見つめていた。



「ああ。そうだ」
菊の声でカリエドはふっと我に返った。
見れば、菊がごそごそと荷物をあさり、真っ赤なトマトを差し出した。
「あの悪ガキと食いな、と」
誰かなんて聞くまでもなく、頭の中に3人の子持ちの豪快なおばちゃんが浮かんだ。
いまだに自分を悪ガキ呼ばわりする人はあの人くらいだ。
「変わらんなぁあん人」
カリエドは笑いながらしゃぷっとトマトにかじりついた。
完熟したそれは甘くて美味しい。
しばらくもぐもぐしていたが、トマトのへたをぽいっと放り出す頃には、カリエドの瞼が再びとろんとおりてきていた。
「あっかんわ・・・限界かも・・・」
満腹になったせいか、さっきよりも眠気が強い。
頭がふらふらしているカリエドに、菊は気遣わしげに声をかけた。
「少し寝られたらいいですよ」
「嫌や起きるー・・・菊との貴重な時間がぁー・・・」
「少し経ったら起こしますよ」
「ほんなら膝枕してー・・・」
「何歳ですか」
「えー・・・どこにしまったっけ?」
「・・・もう寝てますね」
カリエドが限界なのを見て取った菊は、ひょいと膝を提供してやった。
即座にぽてっとカリエドが倒れこんだ。
眩しい朝日から目を背け、ゆっくりと息づく菊の下腹部に顔を向ける。
女の太股に比べて柔らかくはないが、どうしようもなくじんわりと温かく眠気を誘った。
「菊は・・・」
カリエドはほとんど寝言のようなそれをとろとろと呟いた。
「朝日が似合うなぁ」
「そうですか?」
「俺はアカンわ・・・眩し」

やがてすぅすぅと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた頃、菊はぽつ、と呟いた。
「・・・そんなことないですよ」
さぁっとふきつけた冷たい風が運んだ匂いに、目を閉じていたユウヒがぴくりと反応する。
低い唸り声をたてるユウヒに、大丈夫だからと手を振って落ち着かせる。
ユウヒが落ち着いたのを見てとると、菊は安心させるように微笑んでみせた。
そして振り返りもせずに袖口に忍ばせていた小刀を背後の茂みに打ち込んだ。
「動いたらあてますよ」
静かな口調の菊が警告するまでもなかった。
鼻先数ミリに飛んできた小刀は、茂みに潜んでいた男の呼吸すら奪っていた。
「『どっかの暴れよったアホ』の一人ですね?」
しくったわーと口を尖らせるカリエドを思い出しながら言う。
質問ではなく確認と警告のため。
笑ってしまうほど稚拙な殺気。
膝の上で眠る、この人が気づかないはずがない。常ならば。
それほどまでに安心しているのだろう。他ならぬ菊の膝の上だからこそ。
その安心に応えたいと、せめて今だけは血の匂いから遠ざけてあげたいと、願うのはおこがましいことなのだろうか。

「どうか殺させないで下さい」
朝日が似合うと言ってくれたこの人の前で

振り返った菊の瞳は、彼もまたこの街で生き抜いてきた人なのだと思い起こさせるに充分な冷徹な光を放っていた。



○●○●○●○●○●○●○●○

 

やがて完全に気配が消えると、ユウヒはとことこと菊の傍に近寄ってきた。
いいの?と言わんばかりに見上げてくる瞳に笑いかけ、いい子いい子と頭を撫でてやる。
「大丈夫ですよ」
逃げるならばそれでよし。もう一度来るなら、今度こそ。
ユウヒは菊の手にふんふんと鼻先を押し付けると、再び木陰に寝そべって眠りについた。
それに目元を和ませて、菊はふとカリエドの手にそっと触れた。
樹皮のように硬くなったそれは、昔、何度も何度も飢えに耐えながら水場を往復して出来たもの。

無意識だろう、カリエドはごつごつとした手で菊の手を絡めるように握り締めた。
眠っているせいか、子どものように高い体温に菊の口元がほころぶ。

昔、菊は食べ物を探しに山の中に入る非効率よりも、食べ物を作る効率を選んだ。
結果的にそれは正しかったと、結果を出した今だからこそ言える。
その結果を導き出すまでに協力してくれたのは、信じてくれたのは、カリエドただ一人で。
「・・・今度も、信じてくれるでしょうか」
今の城壁の中の連中の機嫌を伺うような方針のままでは、街は遅かれ早かれ一掃されるだろう。
便利なだけの存在ではだめなのだ。
無くてはならないもの、城壁の中の連中にそう思わせなければ、この街に未来は無い。
今のこの街の政策は、山の中に食べ物を探しに入るようなものだ。
気まぐれな山の恵みが絶えてしまえば、たちまち飢えてしまう。
それではだめなのだ。
この街を、国として認めさせなければならない。
言うほど容易くはないどころか、もしかしたらこの街全てを敵に回してしまうかもしれない。
気まぐれな自然の恵みに頼っていては、いつか必ず皆が飢える日が来る、と。
そう訴えかける菊に、侮蔑交じりの奇異な目を向けた人たちを思い出して、菊はぎゅっと目を瞑った。

残り物だといって、いつも作りたての料理をくれる屋台のおじさん。
いくつになっても、私にとっちゃ子どものようなものだと笑った野菜売りのお姉さん。
彼ら全てが敵にまわるかもしれない。
目先の飢えを凌ぐこと、彼らにとってそれが一番大事なのだ。
実るかどうかわからない、種の成長を待つ気にはなれないだろう。
そんなのを信じてくれたのは、カリエドだけだった。
ひどい飢えに耐えながら、それでも一緒になってユウヒを育ててくれた。
カリエドだけが菊を信じてくれた。
いいや違う。
カリエドさえ信じてくれれば、それでいい。
目を閉じて、カリエドの手を握る菊の仕草はどこか祈りにも似ていた。






朝日が似合うと、言ってくれたあなたこそが私にとって夜の終わりを告げる朝日だった