「今日から菊と面会許可。ただし、騒いだら追い出、」

我先にとその場の全員が「KIKU HONDA」のネームプレートのついた病室へと走り出した。





ばーん!と扉が開いた。

『心配しましたよもおおぉおおおぉぉっ!』
「エドさんっ。ライヴィスさんまで・・・」

どーん!と二人が吹っ飛ばされた。

『菊さぁぁぁぁんっ!』
「ええぇっ!?」

大群で押し寄せてきたのは菊の元部下達である。

「・・・出直した方がいいか?」
「菊〜!」
「隊長!?フェリシアーノくん!?」

昔お世話になった上司であるルートヴィッヒが、困った顔で満員の病室を見つめていた。
菊に抱きつこうして、ルートヴィッヒに猫のようにつまみあげられたのは同期のフェリシアーノ。
懐かしい顔ぶれに、菊が目を白黒させていると。

ぱりーん。

『わーっ!?』
窓をぶち破って飛び込んでき何かが、びぃぃぃんと音を立てて壁に突き刺さった。
「ナイフ!?」
ぎょっとして誰かが叫ぶ。
すわ敵襲かと慌てふためく一同の中、一人冷静な菊がナイフにくくりつけられている手紙に気づいた。

『治ったらまたお茶しよう』

几帳面だけど、どこか丸みのある文字。
菊の口元が知らずゆるんだ。
「微笑ましいことをされますね」
「ほほえまっ!?」
エドがぐりんと振り返って、素っ頓狂な悲鳴を上げた。
意味不明だが、言いたいことはわかる。
ラトヴィアがガクブルしつつ絶望の声を上げた。

「あああ菊さんにおそロシア様がうつっちゃったー!」
「ラトヴィアアアアアッ!?」
『マジですか副長!?』
「あのですね、私はもうあなた方の副長ではないのですから・・・」
「それをいうなら、俺もお前の隊長ではない。名前で呼べと言ってるだろうが」
「そーそー。ルートヴィッヒでいいってば」
「お前は隊長と呼べ」
「ギブギブギブッ!」
「菊さん慕われてるんですねぇ」
「いい上司だったんですか?」
「ええもう。他の人の下につくのが嫌になるくらいに」
「裸締めやめてぇぇぇっ!」

どやどやがやがやざわざわ、ぴーちくぱーちくやかましいことこの上ない。

見舞い客ラッシュであった。







ただ一人を除いて















「わん」









目が覚めた頃には、全てが終わったあとで。
結局、イヴァンに反旗を翻した連中が一番勇気があったようだ。
イヴァンに反感を抱いていた者は、イヴァンの徹底したおそロシア様っぷりに逆に前よりも大人しくなっている。
「・・・どこまでが計算なんですかね」
病院の硬いベッドの上で菊は嘆息した。
幸いなことに、応急処置が適切だったおかげか大事に至らずにはすんでほっとしている。
手を握って、開いて、と繰り返し、うん。大丈夫。
神経はやられていない。
まだ完全には握力の戻っていない手をぐぐ、と握り締めた。
キィ、と扉の開く音に振り返る。
「けが人の前で騒ぐとかありえんしー」
ぱんぱん、と手を払いながらフェリクスが戻ってきた。
「ドクターストップ発動したったし」
「ご迷惑をおかけします」
騒いだら追い出すとの宣言通り、ぺいっと全員を病室から放り出した強者である。
白い服から覗く足が眩しい。眩しすぎて目を逸らす。
「これマジよくない?」
「・・・大変お似合いかと」

お似合いなあたりが大変かと。

ぐっと言葉を飲み込んだ。
フェリクスはずりずりと菊のベッドの傍まで椅子を引きずってくると、すとんと腰掛ける。
頼むからミニをはいて足を組むのはやめてほしい。
「っていうかありえんしー。菊の上司に騙されたし」
「はは・・・」
ぶーぶーと頬を膨らませるフェリクスに菊は苦笑いである。
イヴァンはトーリスとフェリクスに、残党勢力の一掃と国内の混乱の沈静化を依頼した。
つまり、残党勢力を一掃しても、国内の混乱は続いているわけで。
トーリスとフェリクスは、ちゃっかりと残務処理にこき使われていた。
とはいっても、主に残務処理にかられているのはトーリスであり、フェリクスは病院にて手腕を発揮してくれている。
「自分何であんなんの下につくことになったん?」
「ええっと・・・」
どこから説明したものやら。
無意識に首をさするが、そこにはもう首輪は無い。
「ふぅん」
フェリクスは菊の首を見て、ただ一言だけ漏らした。
言葉に詰まった菊を見て質問を変える。
「じゃあ質問変えるし。これからあれの下につく気あるん?」
きょとんと目を見張る菊に、フェリクスは指を折々数え始めた。
「なんか知らんけど、自分ずいぶん色んな人間に慕われとるやん?」
「そう・・・でしょうか?」
「ん。あの二人組みやろー?元部下やろー?元上司と同期やろー?」
ひのふのみの、と数え上げていく。
「なにもアイツんとこ戻らんでも、そいつらんとこ行った方がよくない?」
フェリクスは顔を上げると、菊を真正面から見つめながら言った。

「っていうかアイツのせいで死にかけてんから、他の奴んとこ行くべきやし」



珍しく震えが止まっていた彼と、眼鏡の奥の目を真剣なものにしていた彼。
何か出来ることがあるなら、力にならせてほしい。
事後処理に忙殺されそうな合間を縫って、真っ先にお見舞いにかけつけてくれた彼ら。

元部下達は、菊に戻ってきてくれと懇願した。
私達の上官は今もあなたなのだと。
東の国の血を引く少女は特に強固な意志で、菊に戻るよう懇願した。
可愛らしい容姿に反して、菊にイタズラする輩は「あに菊さんにイタズラしてんだ」とキリキリ締め上げる猛者だった。
いい部下達だった。イヴァンに土下座してまで自分を助けるよう働きかけてくれた。

ルートヴィッヒはフェリシアーノを猫のようにぶらさげながら、真面目な顔で言った。
戻って来い。
なんなら俺が直接上に働きかけてやる。
フェリシアーノはするりとルートヴィッヒの腕を抜け出すと、菊の額に羽のようなキスを落として言った。
俺は菊の味方だから。
本来なら、菊の犯した命令違反+上官殺しという行為は、どんな理由があろうと死刑である。
そのリスクを承知した上で言ってくれた二人の言葉が、どんなに嬉しかったか。

少女は図書館で今も一人お茶を飲んでいるのだろう。
他人は二酸化炭素のように思っていると聞いて、お邪魔ならと遠慮する菊に彼女は言ってくれた。
菊は酸素だから。
猫舌な菊のために、わざわざ熱く淹れたお茶を冷ましてくれていたことを知っている。



菊は目を閉じた。
慣れ親しんだ彼ら、優しい部下達、かけがえのない仲間、白い少女、彼らの顔が浮かんでは消えていく。
そうして最後に浮かんだ顔に、心の中だけで言い放った。



見舞いにぐらい来たらどうなんですか



(・・・なんで)
思わず眉間に皺がよる。よりにもよって浮かんだあなたの顔に。
(仕方ないでしょう、あんな表情見せられてしまっては)
私が撃たれたあの時の、零れ落ちそうなほど目を見開いたあの表情。
思わずため息をつく。
菊は、犬猫の類を見捨てられない性質であった。

「まぁ首輪がとれたところで、逃げても追っかけてくると思うし?」
「・・・うっ」
確かに。
呻いた菊に笑い、フェリクスはとんとんと首を指差した。
「ある意味首輪より厄介なもんつけられとるし」
気づかれる前にあいつら追い出したったし、感謝してやマジで。
そう言ってフェリクスは今度こそ病室を出て行った。
首をかしげ、鏡を引き寄せた菊は首を覗き込んで。

首輪よりもたちの悪いものを発見した。

「・・・・・・・・・・っ!」

菊の顔が一瞬で真っ赤に染まった。
首につけられた所有印よりも赤く。

「なん・・・っ!」

絶句する。
言葉も無いとは正にこのことだ。
しばらく彫像のように凍り付いていた菊だったが、やがてふっ・・・とため息をついた。
きっちりと寝衣のボタンを一番上までしめ、ぽすっとベッドに体を沈める。

「・・・・・・・・・・・・・・・寝よ」

無かったことにすることにした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「菊おはよー。夜中だけど」

なのになんでソッコーで来てるんですか空気読んでください

「読んだ上での行動だけど」
「尚悪いんですが」
なんでここにとか、心読まないでくださいっていうか読めるんですかとか、なんかもう色々どうでもよかった。
みんながお見舞いに来てくれたのが嬉しくて、昼間に無理をし過ぎてしまったらしい。
たまった疲れは熱となって、ぼんやりと頭を浮かしている。
イヴァンのひやりとした手が心地よかった。
「食欲は?」
「無いです・・・」
「だろうね」
イヴァンは言うなり、菊の上半身を起こして背中に丸めた毛布を押しこんだ。
なんだかデジャヴだ。
口にカップが押し当てられ、慎重に傾けられる。
喉を鳴らして水を飲んだ。
あの時と違うことは、首輪が無いこと、エドとライヴィスがいないこと。
「水分補給だけはちゃんとしたほうがいいよ」
は、と息をつく。
熱のこもった体に流し込まれる冷たい水の感覚が心地よい。
濡れた唇をイヴァンが親指でぬぐった。
「体が冷えれば、食欲も出るって」
「・・・フェリクスさんですか?」
「うん」
よくイヴァンに入室許可を出したものだ。
菊の目線でわかったのか、それともやっぱり読心術か、イヴァンはさらりとこう言った。
「残務処理で無理しすぎちゃったのか、トーリスが倒れちゃってね」
フェリクスに言ったらすっ飛んで言ったよとイヴァンは笑った。
「はい」
当然のようにスプーンを差し出された。
ほわほわと湯気の立っているそれは、カーシャと呼ばれるこの地方のお粥である。
米ではなく、そばの実を硬い粥状に炊いたもので、故郷の味に似たこれを菊は好いていた。
はむっと口に含むと、ぷちぷちとした触感がする。美味しい。
「おや。素直」
抵抗する気力が無いだけです。
カーシャとともにその言葉を飲み込んだ。
「餌づけ餌づけ」
「こら」
叱ろうと開いたその口にスプーンを突っ込まれる。
こんにゃろう。
諦めてぷちぷちと咀嚼する菊を見て、この上なく楽しそうである。
「抵抗されるのもいいけど、素直なのもいいね」
別の意味に聞こえるのは何故だろう。
目線を逸らしつつひたすらぷちぷちとかみ続ける。
「暇人なんですか」
「優秀な部下のおかげでね」
聞けば、トーリスがばたんきゅーしたのでエドとライヴィスに仕事を押し付けてきたらしい。
「鬼ですか」
「いいじゃない。二人は真っ先に菊のお見舞いに来たんだから」
暗闇に目が慣れてきた。
イヴァンの目の下にはうっすらと隈ができている。色が白いから僅かな隈でも目立つのだ。
きっと、今この国で一番忙しいのはこの人だろう。
「来たかったんですか」
菊の意外そうな声には応えず、イヴァンは菊の口にスプーンをつっこんだ。
ぷちぷちぷち。菊が咀嚼してる間、イヴァンは菊の目ではなく肩の傷を見ていた。
「菊が撃たれた時」
イヴァンはぽつ、と呟いた。
あの時の光景を思い出しているのか、手で目を覆うその仕草はまるで見たくないと言っているようで。
「びっくりした」
手で覆われたイヴァンの表情は見えない。
ただ声だけが消え入りそうに震えていて。
「・・・・・・・・・・」
何か言うべきだと思うのだが、口の中にはイヴァンが多めに突っ込んだカーシャが入っていて。
喋るな、という意味だろう。
うつむいたその後頭部を見ながら、思った。
これが嘘泣きだったりしたら、多分私は一生人のことを信じれないんですが。
その時はどうしよう。とりあえず責任とってもらおう。
そう思いながら、菊は手を伸ばした。

なでなで。

「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」

なんともいえない空気が流れた。
さすがに、大の大人にこれはなかったかな、と思う。
けれど、今のイヴァンは大の大人というよりまるで捨て犬のようで。
そして菊は犬猫を見捨てられない性質だった。
イヴァンの髪を梳いてみる。
さらさらと指の間を滑るわけではないが、柔らかいその感触が心地よい。
イヴァンが何か声を発するまで、菊は黙ってイヴァンの頭を撫で続けていた。

「びっくりした」
イヴァンがぽつっと呟いた。
さっきとは百八十度違う声音。
ほっとする。
泣いてはいなかったし、嘘泣きでもなかった。その事実に安堵。
すっと離した菊の手をとって、イヴァンは自分の胸に押し当てた。
「ほら」
そして押しつける。
どっどっどっどっ。
早鐘のようなその音に菊はびっくりと目を見張った。
「そんなにびっくりしましたか?」
「うん。それもあるけど」
イヴァンはようやく顔を上げた。
心臓の音に反して、顔は平静そのもので。
「人をつけないで誰かと二人っきりになったことって無かったんだ」
どっどっどっどっど。
笑顔でなにもかもを押し隠すこの人の本質に触れている気がした。
「・・・因果な商売ですね」
「僕もそう思う」
いつも皮一枚のところで拒絶されていた。
触れてくるくせに触れさせないこの人の、薄皮の下で脈打っている心臓に菊は思った。

イヴァンなりの誠意なのだろう。
だって、その視線は菊の目ではなく傷を見つめていて。
今菊の首に枷は無く、エドとライヴィスもいない。
心臓に触れさせて、イヴァンは言っている。
きみの好きにすればいい。
煮るなり焼くなり、殺すなり。

「不器用な人ですね」
イヴァンの諸々の予想に反して、菊は苦笑していた。
きょとんとしているその顔がなんだかかわいかったので、笑いながら言う。
「そういう時は、ごめんなさいと言うんですよ」
イヴァンはぱちぱちと目を瞬いた。
「そうなんだ」
「教わりませんでしたか?」
「うん」
「・・・本当に因果な商売ですね」
「僕もつくづくそう思う」
でもね、イヴァンは呟いた。
「しばらくは、このポジションでいようかな、と」
「何でですか?」
「少なくとも、菊がこれから先二度と死ねと命じられないように」
菊はぱちぱちと目を瞬いた。
「あなたは、私にそんなこと命じないでしょう?」
わざわざ忙殺されそうな合間を縫ってお見舞いに来てくれた。
故郷の味によく似たカーシャを持って、わざわざ息をふきかけて冷まして。
猫舌な菊のために。
「・・・・・・・・・・」
イヴァンは目を見張った。
我先にと押し寄せた見舞い客達ではなく、当然のようにイヴァンの下に在り続けると言い放った菊に。
イヴァンは目を細めて笑った。
雪の晴れ間に射した光を見つけた時を思わせる表情で。
「うん。そうだね」
「なに笑ってるんですか」
「面白いから」
「いひゃい」
むに、と菊の頬をつまむイヴァンの手を払い落とす。
そして菊は精一杯しかつめらしい顔をつくって言った。
「こういう時は?」
イヴァンは居住まいを正すと、菊にちょこんと頭を下げた。

「ごめんなさい」
「笑いながら言うんじゃありません」


だって嬉しいんだもの