やはり、あの馬鹿は利用されていただけらしい。

黒幕は唐突に反旗を翻した。

そしてそれ以上にイヴァンの発言も唐突だった。



「首輪と手錠ってなんかえっちだよね」

「・・・監禁されてるって自覚ありますか?」



菊にとって、イヴァンが抵抗らしい抵抗もせずにあっさり投降したことは不可解だった。

そしてそれ以上に不可解なのが、イヴァンに従うように投降した自らの行動。



何をやってるんでしょうね。




菊が肩を落とすと、その動きにつられてじゃらりと鎖が鳴った。
その音がよりいっそう菊の気分を落ち込ませる。

イヴァンは不思議そうに言った。



「逃げればよかったのに」

「黙りやがってください」






ただいま絶賛監禁中

 
















「わん」












もち。

「・・・・・」

もちもちもちもちもち。

「美味しいですか?」

こくっ。
頷いたベラルーシに、菊はほっと胸をなでおろした。
どうやら菊の手土産の求肥をお気に召したようだ。
ベラルーシは神妙な顔つきで淡い色合いの求肥を眺めていたのだが、一口齧ると軽く目を見張った。
後はひたすらもちもちと食べ進んでいる。
気に入ってくれたようでなによりだ。

今日は珍しく、ベラルーシが「外でお茶にしよ」と誘ってくれた。
外と聞いて、菊は呆然と防寒ガラスの向こう側の雪景色を見やったのだが。
幸いにも、ベラルーシが「外」と指したのは、隠れ家のような小さい温室のことだった。
本部の喧騒も聞こえなければ、イヴァンの邸宅も見えない。
こんな秘密の隠れ家があったのかと、菊は素直に感嘆したものだ。
隠れるにはもってこいのこの場所が、なんともベラルーシらしかった。

「お気に召して幸いです。何がお好きなのかわからなくて・・・」
こっくんと飲み込むと、次の求肥に手を伸ばしながらベラルーシは言った。
「少なくとも、雪は食べない」
「・・・・・」

雪を食べて生きてるって説が有名なんですよ

ですよー

よー・・・

頭の中で、エドの言葉がエコーした。
菊はクリスチャンではないので、十字を切るかわりに心の中でエドに手を合わせておいた。
しっかりバレてますよ。そんでちょぴっと怒ってますよ。
ついでに心の中でエールを送っておく。ファイッ。

2枚目の求肥を攻略中のベラルーシは、唐突に言った。
「イヴァン、何か言ってた?」
「3時までには戻るように、と」
ベラルーシにお茶に誘われたと言えば、イヴァンは書類から顔を上げずにそう言った。
おかげでこんな中途半端な時間にお茶をする羽目になってしまった。
「すいません。あわただしくて」
「・・・・・・・・・・」
ベラルーシはふる、と微かに首を横に振った。
気にするな、と言いたいのだろう。
「菊は」
「はい?」
「イヴァンが好き?」

もちもちもちもちもちもちもち。こっくん。

ベラルーシが2枚目の求肥を攻略し終えるまで、菊はフリーズしていた。
じ、と菊を見つめるベラルーシの瞳に浮かぶ色は純粋な好奇心だ。
ようやくフリーズから復活した菊は、苦笑しながら自分の首をさした。
イヴァンにつけられた首輪(最近諦めがついた)をちょいちょいとつつきながら言う。

「これがある限り、肯定せざるを得ませんね」
否定しようものなら、と続けようとした菊に、ベラルーシは言った。

「羨ましいけど」

ウラヤマシイケド
URAYAMASIIKEDO
裏山死池戸・・・?

菊の脳裏にベラルーシの言葉が蛍光ピンクに点滅しながらリフレインした。
思った異常に混乱していたらしい。
ベラルーシが首を傾げながらつんつく突っついても、菊はしばらく固まったままだった。

「ええと・・・理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」

かろうじてそれだけを口にした菊に、ベラルーシは当然のように言い放った。
菊の首輪をひたと見つめながら。

「私は飼われたいのに、イヴァンは首輪も鎖もつけてくれない」

思わず絶句した。
その凄まじいセリフはもちろんだが、ベラルーシはイヴァンを嫌っていると思っていたので。
そこでようやく合点がいく。
イヴァンへの冷たい態度と言動。

拗ねてたのか

ライヴィスやエドのように、恐怖からイヴァンの下についている者もいれば。
ベラルーシのように、イヴァンに自らつきたがっている者もいる。
菊はどちらでもない。
何故イヴァンの下についているのかと言われれば、首輪を指差して答えるだろう。
はい注目。
百聞は一見にしかずを体言したかのような理由である。

ベラルーシは窓の外を眺めながら言った。

「今日もそう」
「はい?」
「イヴァンは、私には『危ないから避難しといてね』って」
ベラルーシは、口をへの字に曲げながら言った。
「菊には、戻ってこいって言う」
話が見えず、菊は首をかしげた。そして続く言葉に目を見開く。



「今日、クーデター。2時決行」



ぽっぽー

ぽっぽー



可愛らしい鳩時計がきっかり二回鳴いた。






今日は外でお茶にしよう。
珍しいベラルーシからの誘い。
秘密の隠れ家のようなここは、本部の喧騒も届かず、イヴァンの邸宅も見えず。
聞けば予想通りの答え。
イヴァンと私しか知らない場所。
秘密を共有させてくれたことが嬉しくて、何故、なんて考えも知らなかった。
何故、ここに誘ってくれたんですか。
偶然に見つけられることはまず無いだろう、身を隠すにはもってこいの場所。
ベラルーシの言葉が頭の中でわんわんと鳴り響く。
「今日、クーデター。2時決行」
3時までには戻っておいで。
書類から顔を上げずに手を振った、あなたが知らないわけがない。





「イヴァンは、」
ベラルーシは紅茶のカップを傾けながら言った。
「選べって言ってる。イヴァンか、違う誰かか」

行ってらっしゃい

イヴァンのどこか冷たい口調に、拗ねているのかと首をかしげた。
まるで、戻ってこなくてもいいよと言っているように聞こえたから。
偶然に見つけられることはまず無いだろう、身を隠すにはもってこいの場所。
イヴァンの声が聞こえるようだった。
そこに隠れていてもいいし、逃げ出してもいいよ。
もしも戻ってくるならそれはそれで。



「・・・今から行っても、手遅れでしょうね」
疲れたように目を覆う菊を、ベラルーシは黙って見つめていた。



平和の象徴の鳥はとっくの昔に引っ込んでしまった。
戻って来いというならば、2時までに戻って来いと言えばいい。
それがだめなら何が何でも行くなとでも言えばよかっただろう。
よりにもよって、何故3時。




本当に








あなたって人はッ!






菊は紅茶を飲み干すと、ベラルーシの瞳を真正面から見据えながら言った。

「一発ぶん殴ってきます」

ベラルーシは微笑して言った。

「私の分も」

「Yes,Mam」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





着いた邸宅の周りに、銃を携えた男達が配置されているのを見て、菊は目線を厳しくした。
漏れ聞こえる話に耳をそばだてれば、どうやらイヴァンはあっさりと投降したらしい。
クーデターだろうが、勝ち戦は勝ち戦だ。
兵士達は大きく火を焚いて暖を取りながら、酒宴騒ぎを始めている始末。
浮き足立った雰囲気を見て取って、菊はなんとか侵入できないものかと目を走らせた。
木の上に身を潜めながら邸宅の様子を窺うが、人の数が多い。
あくまで気配を消しながら遠目に邸宅の様子を窺っていたが、ふと視界の端に留まった物陰がある。
かなり離れたところで、菊と同じように邸宅の様子を窺おうとしている。
だが、あまりにも稚拙だった。
おどおど、そわそわしながら、もう少し近づこうにも近づけずに、茂みから顔を出しては引っ込める。
菊は木から落っこちそうになった。
エドとライヴィスである。
兵士達も、さすがに不審者がいることに気づいたらしい。
上司に命令されたのか、不服そうな男達が二人ばかり酒宴から離れ、その人影へと近づいていく。
慌てたらしい二人が、菊のいる木へと逃げ出してきた。
菊は音もなく飛び降りると、二人を背後から同時に抱きすくめ、口を押さえた。
狂ったように抵抗しようとする二人の耳元で、そっと囁く。
「・・・お静かに。私です」
二人の動きがぴたりと止まった。
茂みの中に二人を引きずり込むと、二人に目線で動かないよう言って息を潜める。
しばらく男達が辺りを見渡している気配がしていたが、酒宴に未練があるのだろう。
おざなりに辺りを見渡すと、早足に酒宴へと戻っていってしまった。
「ライヴィスさん。エドさん。ご無事で何より」
「菊さんんんん!」
ライヴィスはガタブルッぷりが再開するだけでは飽き足らず、涙腺が決壊している。
エドもまたライヴィスに負けず劣らずのガタブルッぷりだ。
「もうどうしようかと思いましたよぉぉぉ。本部から戻ってきたらこれですもん」
聞けば、エドとライヴィスはいつものように本部へと仕事を仰せつかっていたらしい。
本部が騒然となったので、聞けばクーデターが起きていたとのこと。
エドとライヴィスは呆然と顔を見合わせたという。
菊は首をかしげて聞いてみた。
「そのまま逃げなかったんですか」
『逃げるのも恐かったんです』
エドとライヴィスの合唱に、菊はうんうんと頷いた。
納得である。
二人の話を聞き終えて、菊は淡々と言った。
「本部が騒然としていたということは、クーデターの勢力は全て出払っている、ということですね」
邸宅の周りに陣取っている連中は、浮かれているとはいえ数が多すぎる。
とてもじゃないが、正攻法では突破出来なさそうだった。
菊は二人に耳打ちした。
「ちょっと協力していただけますか」



「縄を解き参らせよ」
首謀者らしい男の言葉通り、イヴァンにとかれていた縄は解かれた。
「イヴァン・ブラギンスキ殿。余儀ない事情から私と貴君は敵味方に別れましたが、客人として歓待します」
要約すれば「悪く思わんとってな。ちゃんとええ思いさせたるし」になる。
「うん。ありがとう」
イヴァンは笑顔を浮かべてこそいるが、その口調は平淡そのものである。
首謀者の男に対するなんの感情も窺えない。
男が朗々と建前を並べ立てる。
要約すれば「恨むとか無しの方向で。俺トップに立つから、アンタは引退して大人しくしててくれればええねん。な?」である。
男の口上の最中に、兵の一人が駆け込んできた。
「何事だ」
「報告します」
言うなり、兵士は三人の見慣れない軍人を引き出した。
一人は猫っ毛の少年。
もう一人は眼鏡の少年。
その二人の少年にひっ捕らえられているのは、黒髪の見慣れない風体の軍人だった。
皆が首を傾げる中、イヴァンだけが口元に笑みを刻んでいた。



「申し上げます」
眼鏡の少年が言った。
「この者の身柄と引き換えに、我々の身の安全の保証を願い出ます」
「その者は?」
「イヴァン・ブラギンスキ上官にとって、重要な人物です」
「はて・・・?」
見れば、少年の位はそんなに高くない。
怪訝そうに黒髪の少年を見やる男に、イヴァンは嫣然ともいえる微笑を浮かべる。
「野暮な話は無しにしましょう」
イヴァンは言うなり進み出ると、黒髪の少年の肩を抱き寄せる。

「男ですから。こういう者は自然、必要になるでしょう?」

ぴし、と空気が音を立てて凍りつく。
一瞬凍りついた空気が、なんともいえないものに変わった。
その場の全員の視線が菊の首輪に集中し、みんな思い思いに目を逸らす。

こんにゃろう。

内心の呟きは表に出さずに、菊はすっと目を伏せた。
周りから見たら、そっと恥らっている風に見えるように。
「や。これはこれは・・・・・」
男のいかつい顔に、好色そうな笑みが浮かんだ。色の道はまた別らしい。
イヴァンは笑顔のまま、男の目線から菊を隠すように立った。
「この子は僕の傍に置いておきたいのですが」
何故、と聞くだけ野暮な話である。
男は意味ありげに笑って頷いた。
「先ほども申しましたように、貴君は客人として扱います。構いませんとも」

そして冒頭に至る。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






イヴァンがなんら抵抗らしい抵抗をしなかったことが幸いしてか、無傷で引き立てられた上、監禁とは名ばかりの拘束となった。
外側から鍵がかけられ、見張りこそついているものの、牢獄ではなくイヴァンの自室での軟禁である。
さすがにイヴァンに手錠をかけることはしなかったが、菊の手には手錠がかけられ、武器の類は全て取り除かれた。
「首輪と手錠ってなんかえっちだよね」
「・・・監禁されてるって自覚ありますか?」
菊はがっくりと肩を落とした。
「逃げればよかったのに」
「黙りやがってください」
ひとしきり楽しそうに笑った後、イヴァンは言った。
「もう手放してあげれないよ」
思わず顔を上げた菊の目に、目を細めて笑うイヴァンが映った。

「僕からは手放せないから、逃げる時間をあげたのに」

逃げろとは言いたくなかった。言えなかった。
だからといって、行くなと言えば、菊が頷くことは目に見えていた。
菊の意思は関係なしに、上官命令というだけで。

だからこその言葉だった。
3時までに戻っておいで。
逃げるも戻るも、自分の意思で選んでね。

菊は選んだ。イヴァンの手の内に戻ることを。
互いの吐息を感じるほどの至近距離で、イヴァンは囁いた。

「何で?」

菊は、真正面からイヴァンの瞳を受け止めながら、はっきりと言い切った。
全くの予想外のセリフを。

「消去法です」

死ねと命令した五無男だとか、貴族のぼんぼんだとか、クーデターを企む馬鹿だとか、ろくな上司がいないので。
菊の言葉に、イヴァンは喉で笑った。
本当に、君は見ていて飽きないから、ずっと見ていたくなる。

「なら、これからも他のみんなは消し続けなきゃね」
「消去法の意味が違います!」
君が僕だけを選び続けるようにと笑うイヴァンに、菊は慌てて叫んだ。
「あはは」
「発言を取り消すなり否定するなりしてください・・・!」
冗談に聞こえません、と言った菊に、イヴァンはただ微笑してみせた。



菊は思う。
本当は、他にも選択肢があったはずだ。
例えば逃げるなら、あの隠れ家のような温室だとか、昔お世話になった上司だとか。
なのに、何故だろう。
頭の中に浮かんだあなたの顔を、一発殴ることしか考えられなくて。




諸々の疑問に蓋をして、菊はただ一言だけ言った。

「とりあえず、脱出方法を考えましょうか」

「いい眺めだから、しばらくはこのままでもいいかも」

「黙りやがってください」