菊がいなければ成功していたであろうイヴァンの暗殺。
イヴァンがことさら強調した菊を手放す気は無いとの宣告。

それらが菊の立ち位置を変えてしまった。

今までは菊の地位はイヴァンの気まぐれによるもので不安定だった。
しかし、それらの功績によって、菊の立ち位置はいつの間にやらイヴァンの副官になってしまっている。
だが、それはあくまで周りの認識によるものだ。
菊の実際の地位がイヴァンの副官にあたるかと言われればそうではない。
そう。それ自体は別に問題でもなんでもないのだ。



問題なのは、周りが「菊がイヴァンにとってなくてはならない存在」と認識してしまっていることにある。



言葉も出ないとは正にこのことだろう。
昔お世話になった上司に敬語を使われたときは必死で誤解を解いた。
そっと袖の下を渡してきた人間は、証拠品とともにイヴァンに報告しておいた。
エドとライヴィスは、菊がイヴァンの部屋に入るとそっと席を外すほどの気の使いっぷり。
どういった意味合いで「なくてはならない存在」なのか、人によって大きく誤解が生じているようだが。
これだけは確かだ。






イヴァンを斃そうと目論む連中にとって、菊の存在は無視できないものとなっていた。









遅かれ早かれ、菊を消すなり利用しようとするなり、なにかしらの動きがあるだろう。

















「命が惜しければ、従ってもらいましょうか」















早っ!















菊は鈍く光る銃口に顔を顰めた。

 

 





















「わん」



















口は動かすが手は休めない。
菊とエドは二人でテキパキ記録整理をしつつ、雑談に花を咲かせていた。
「ベラルーシに会ったんですか?」
「ええ。本を探すのを手伝って頂いたんです」
エドは目と口をあけて菊を見つめた。
それでも手が動いているあたり器用である。
「すごいですね」
「そんなに珍しいんですか?」
「そうですよ。ベラルーシが自ら名乗るなんて」
「そこから!?」
その時点で珍しいとは。
びっくりしてる菊に、エドは続けて言う。
「あの人、図書館の主って言われてるんですよ」
「本がお好きなんですか」
「いえ。ただ人がいない場所が好きなんだと思います」
聞けば、ベラルーシはどうにも他人を寄せつけないタイプの人間らしい。
不慣れな人間が本を探していると、いつの間にか現れて目当ての本を渡してくれるという。
皆のベラルーシに対する認識は七不思議か妖精のようなそれであった。
ちょっといい話なのかと思いきや、ただ単に自分のテリトリーに他人が踏み込んでくるのが嫌なだけらしい。
ベラルーシにとって、他人は空気というより二酸化炭素のようなものなのだろう。
「僕も風の噂でベラルーシの名前を聞いたくらいですから」
「そうなんですか」
「ベラルーシが自ら名乗ったのって、多分菊さんが初めてだと思いますよ」
「私が名乗ったから教えてくださっただけですよ」
菊は曖昧に笑ってごまかした。
一緒にお茶しました、とは言えない空気である。
ましてや、図書館に足を運ぶたびにお茶に誘ってもらってるなんて言えない。
菊はこっそりポケットの中の金平糖を撫でてため息をついた。
いつもお茶に誘ってもらっているお礼に渡そうと思ったのだが、こんなもので喜んでくれるだろうか。
エドにそう相談しようと思っていたのだが、この調子では無理そうである。
「ライヴィス遅いな・・・どうしたんだろ」
エドの呟きに時計を見れば・・・確かに。
図書館へ資料を取りに行っているだけにしては、ライヴィスの帰りは遅かった。
資料がわからずに戸惑っている、というのはないだろう。
だとしたら静寂を好むベラルーシがさっさと資料を渡して追い返しているはずだ。
不安げに眉を寄せるエドに、菊はなにげなく言ってみた。
「もしかしたら、ベラルーシさんにお茶に誘って頂いているのかも」
しれませんよ、と続けようとした菊は、エドのあまりにもアレな表情に言葉を飲み込んだ。
昨日の晩ご飯はイルカの煮付けだったんですよ、と言われたらこんな顔になるのかもしれない。
え?海豚って新種の豚?あ。違う?イルカって食べれるの?むしろ食べていいの?
みたいな。なんかそんな顔になっている。
「一瞬何言われてるかわかりませんでした・・・」
「あー・・・あはは」
エドがぽかんと呟いた。
ありえない、というより、そんな発想をすること事態考えついたことがなかったのだろう。
驚きを通り越して感心したような口調になっている。
菊はお得意の曖昧な声と愛想笑いのコンボで誤魔化すことにした。
「そもそもベラルーシって食事するのかなぁ」
そういえば七不思議か妖精みたいに言われてましたね。
菊は真剣に首をひねるエドを見てそう思い出していた。
話はかなり脱線し、エドが「雪を食べて生きてるって説が有名なんですよ」と言い出した辺りで。

派手な音を立てて扉がぶち開けられた。

「動くな」
覆面をつけているせいだろう、くぐもった男の声は聞き覚えのないものだった。

思わず腰を浮かせたエドは、ぎょぎょっとするはめになった。
開け放たれた扉の先、頭に銃を押し付けられたライヴィスがいたことが1つ目のぎょっ。
いつの間にか油断なく刀を構えていた菊の動きに、全く気づかなかったことが2つ目のぎょっ。
あからさまに動揺したエドに見向きもせず、覆面男は菊に顎をしゃくってみせた。
「捨てろ」
空気が凍りついた。
張り詰めた弓の弦を思わせる空気は、ライヴィスの蚊の泣くような声ですら響いた。
「ご、ごめ・・・図書、出たらい、いきなり」
「捨てろ」
もう一度覆面男が繰り返した。ライヴィスの頭にこれみよがしに銃を押しつけながら。
がたがたがたがたがたがた。
尋常じゃない震えと病人ように青ざめた顔は、いっそこっちが泣きたくなってくる。
普通、銃口を向けられておきながら刀を構える人間がいたら、大抵は鼻で笑って終いである。
だからこそ、菊は銃ではなく刀を抜いたのだが、男は警戒心を緩める気配がない。
菊がイヴァンの狙撃を防いだ話を知っているのだろうか。
あの話は一部の人間しか知らないはずだ。だとしたらこの男は。
菊の考えを男の苛立った口調が遮った。
「これで最後だ。捨てろ」
菊はふっと違和感を感じた。
男がイヴァンを斃そうと目論む連中の一味なら、やり方がお粗末過ぎる。
もっと効率のいいやり方があるだろうに。
そこまで考えて、しかし違和感の正体にまでたどり着けない。
今は時間も余裕も無かった。
「・・・・・・・・・・」
菊がことさらゆっくりと刀から指を一本ずつ外してやると、覆面男があからさまに銃に力を込めた。
そうして男の全神経が菊の刀に集中した瞬間を見て取ると、音を立てて刀を地面に放ってやる。
男の目が菊から地面の刀に落ちた瞬間。

菊は思い切り刀を蹴りつけた。

「!」

刀は狙いを定めなかったせいか、覆面男から離れた横の空間を音を立てて切り裂いた。
男の注意が完全に刀に向けられた。瞬間。
菊は男の足元で低く構えていた。
覆面男が菊に気づいた。だがもう遅い。
銃の引き金を引くより先に、菊は覆面男の顎の先を鞘で薙ぎ払っていた。
「がっ・・・」
どんなに屈強に体を鍛えても、鍛えることができない場所というものは必ず存在する。
顎の先はその代表のようなものだ。
直接脳を揺さぶられて無事な者は存在しない。
覆面男も例外なく、白目を剥いて地面にどうと倒れてしまった。
そちらには見向きもせず、菊はライヴィスを助けにかかる。
「大丈夫ですか」
限界だったのだろう。
くったりと気絶したライヴィスを、とりあえず手近にあったソファに寝かせた。
外傷は無い。脈拍や呼吸にも異常は見られない。薬を使われた形跡もない。
詳しく調べてみないことにはわからないが、とりあえず大丈夫そうだ。
菊はほっと息をつくと、ライヴィスの額に手を当てながら言った。
「エドさん。ちょっとすいません」
自分よりも、博識なエドの方が詳しく診てやれるだろう。
そう思って声をかけたが、返事がない。
首を傾げて振り返った菊は、思わず凍りついた。
デジャヴ。
さっきと全く同じ光景が展開されていた。
ただし、犯人は覆面をつけておらず、銃を押しつけられているのはエドだったが。
違いといえばそれくらいで、後は全く一緒だった。
犯人の狙いが菊であるということ。
サァッと青ざめたエドではなく、菊の目を真正面から見つめながら、犯人は微笑しながら言った。
「命が惜しければ、従ってもらいましょうか」

囮か。
ようやく気づいた違和感の正体に、菊は顔を顰めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



最初から計画していたのだろう。
でなければ資料室にずっと隠れている理由がない。
菊が静かに両手を挙げると同時、隠れていたのだろう4人ほどの男がすっと滑りでてきた。
瞬く間に右手と右足を手錠で繋がれてしまう。
普通に動く分には不自由しない長さだが、走ったり戦闘になったりでは絶望的な長さ。
自分達で考えたのか、それともこれも誰かの指示か。
それによって、思ったよりも馬鹿ではない馬鹿か、思った以上の馬鹿かに分かれてくる。
「これが本当にあの男の・・・・・か?」
「子どもじゃないか。何でこんな・・・」
金属探知機を使い、菊の全身から武器を取り除きながら、男達は首を捻っていた。
ぺたぺた無遠慮に体を触られて、菊は鉄壁の無表情の下でコノヤロウと呟いていた。
「口を慎め」
リーダー格らしいその男は、権力を誇示するかのように屈強な男達に命じている。
身なりと地位はいいが頭は悪い、典型的なお貴族様だろう。
以前は自分もこんなのの下で働いていたのかと思うと、菊は情けなくなってきた。
これならイヴァンの方がよほど・・・いやいや。
思わず漏れそうになったため息を引っ込める。
依然としてエドには銃が押し付けられたままだったので。
「以後お見知りおきを。君とは長いお付き合いになると思います」
菊は黙っていた。男の顔と、きざったらしい言い回しに覚えがあったのだ。
確か以前、ベラルーシが盛大に嫌な顔をしつつ教えてくれた。
図書室に女を連れ込んで、教育上よろしくない行為をしようとしていたため、本棚ドミノで追い返したことがあると。
こんな小物がイヴァンを斃そうと目論むとは考えづらい。
恐らく、いいように利用されているだけだろう。それだけに厄介だった。
本当に恐いのはこういう考えなしの馬鹿だ。
何も考えずにためらいもなく人を殺す。
「二人を解放していただけますか」
「申し訳ありません。あなたには銃よりもこの方が枷になると耳にしたもので」
殴りてえ。
菊は思わず目をつぶった。せめて視界からだけでもこの男を消したかったので。
人から聞いた、ということは、やはり男はいいように使われているだけなのだろう。
やはり思った以上の馬鹿だったか。
「私達の力になっていただけませんか」
「仰ってる意味がわかりかねます。力、とは?」
なるべく情報を引き出そうとした菊の答えに、男の眉がぴくりと跳ね上がった。
菊は絶望した。
馬鹿どころの話ではない。男はキングオブお馬鹿だったようだ。
お貴族様の下で働いていた菊は、彼らの思考回路に目が点になったことが度々あった。
彼らは自分が死ねと命じれば、部下は喜んで死んでいくものと思っていた。そうでなければならないと信じていた。
今もそうなのだろう。
男の中での菊は、あっさりと頭を垂れ、喜んで協力を申し出るものと思い込んでいたに違いない。
いや、そうでなければならない。とでも思っていたのだろう。
「従え、と言っているのですよ」
あっさりと剥がれた余裕の態度。
不快。ただそれだけの理由で銃を抜く馬鹿。
だからこそ利用されているのだろう。
もしも菊が味方になればラッキー。断られたら断られたらで、勝手にキレた馬鹿が殺してくれるだろう。
真の犯人の狙いはコレかと、菊が不快に眉を寄せた瞬間だった。



絶妙のタイミングで内線が鳴った。



男達の間に緊張が走った。
「出ろ。妙なまねはするなよ」
リーダー格の男は菊に銃を向けた。
エドの頭に銃を押し付けていた男も、これみよがしに引き金に力を込めてみせる。
菊は右手と右足を繋ぐ手錠に気をつけながら、ぎこちない動きで内線をとった。

「・・・もしもし」

『・・・資料室にいるって聞いたから』

ベラルーシの声。
ライヴィスから聞いた、と続ける声に、菊は内心で「っしゃ!」ガッツポーズを決めていた。GJライヴィスさん。
またとないチャンスに子機を握る手に力がこもった。
だが、迂闊なことは言えない。
もしも犯人にベラルーシだということが知れてしまったら。
菊はちらりと男達に目をやった。
ことさら見せ付けるようにエドの頭に銃を押し付けた犯人に、ごぅっと殺気を放つ。

――――殺ス

犯人は内心はどうあれ、依然としてエドの頭に銃を押し付けていたが、押しつけるような真似はしなくなった。
後にエドは「あの時菊さんの目光ってた・・・絶対光ってた・・・」と語っている。
菊はあらためて子機に向かって語りかけた。

「どういったご用件でしょうか」
『お茶しよ』
菊は犯人の視線を痛いほどに感じながら、何気ない口調で告げた。

「トーリスなら先ほどそちらへ向かいましたよ」

ベラルーシの反応は素早かった。
菊の言外の意味を汲み取った瞬間、しゃっとカーテンを引くように声音が緊張した色を帯びる。
『・・・何かあった?』
「実はそうなんです」
『イヴァンに伝える。急ぐから』
「はい。よろしくお伝えください」
『・・・菊』
ベラルーシの気遣わしげな声を最後に、菊はゆっくりと電話を切った。
エドの瞳をひたと見つめる。
さすがに気づいたのだろう、緊張した顔で唾を飲み込んだ。
ライヴィスも、呼吸がかすかに緊張したものにかわっている。
気絶したふりを続け、耳をすませているあたりは流石軍人の端くれである
これで大丈夫。
あとはどれだけ時間を稼げるかにかかっている。

「あなたが利口な人で助かりましたよ」
菊が余計なことを言わなかったからか、男の口調は打って変わって機嫌のいいものに変わっていた。
更に機嫌のいい声が場に割って入る。



『菊ー。聞こえるー?』



あなたって人はぁぁぁぁぁあッ!!!

突如鳴り響いた館内放送に、菊は内心で絶叫した。
男達の動揺こそが見物だった。

『はい、おそロシア様の命令です。全員窓の外を見ること。さもないと』

船長さんの命令です、くらいのノリでイヴァンは告げた。
非常に気になるところで切って。
どどどどど、と地震のような地響き。
必死の形相で近場の窓を目指す兵の姿が目に見えるようだ。
犯人達も反射的に窓に向かおうとしたが、リーダー格の男が叫んで止める。
「馬鹿かお前ら!馬鹿正直に従う馬鹿がどこにいる!」

馬鹿だから馬鹿正直に従わないだろうと読まれてるんですよ、馬鹿。
菊は遠い目をした。忠告する義理も義務も無い。

『ああ。そこかあ』

ほらね。
イヴァンののんきな声に菊は心の中で呟いた。
犯人の注意が完全に自分から逸れているのを見てとると、こっそりと刀を拾いに行って手錠を切ってしまった。
ぐっ。
エドと親指を立てあう。ライヴィスも気絶したふりのままこっそり親指を立てている。
イヴァンの声だけでこんなにも余裕が出てしまうあたり、自分達はどうかしているのだろうと菊は苦笑した。

『そこの窓だけ誰もいないんだもん。目立つよそりゃ』

地獄のような沈黙。
もはや身動き一つとれない犯人達に、イヴァンの楽しそうな声が響き渡る。

『はい。どーん』

どーん。
イヴァンの言葉と同時、何かの発射音がした。
それが合図になった。
弾かれたように身を起こしたライヴィスは、そのままソファの背に転がりこむ。
菊はポケットの中に手を突っ込むと、取り出したそれをそのまま犯人達にぶちまけた。
金属探知機から逃れた唯一のもの。
金平糖だ。
まともに目に金平糖をくらい、犯人がのけぞっているすきにエドをひったくる。
そのまま縺れ合うようにエドとソファの背に避難すると同時。
爆発音。


「・・・閃光弾・・・・・・・・」
凄まじい光と音の爆発。
耳をやられてしまったらしく、呟いた自分の声が聞こえない。
しばらく耳は使い物にならないだろう。平衡感覚も怪しかった。
ガラスはばりばり。衝撃波で部屋の中はぐしゃぐしゃだ。
ソファに縋るように立ち上がった菊は、まともに閃光弾をくらい、死に掛けたミミズのような集団を見た。
ぴくぴくしてるから、まあ生きてるだろう。
菊は一つ頷くと、エドとライヴィスを振り返った。
二人は反射的に頭を抱えて耳と目をガードしていた。
イヴァンの下で働いていた経験年数の差が生んだ結果だろう。二人の耳は菊ほど酷くないようだった。
漫画のように目をまわしているライヴィスに、エドが肩を貸してやっている。
多分、大丈夫ですか、と言っているのだろう。
口をぱくぱくとしているエドに、菊は苦笑して耳をやられましたとジェスチャーしてみせる。
びっくりした顔のエドに「大丈夫です」口の動きだけで笑って二人の背中を押した。
エドは何度か菊を振り返ったが、足取りがしっかりしているのを見て取ると、ライヴィスを支えて歩き出す。
ふらふらと部屋の外へ向かって歩き出す二人を見ながら、菊も一歩踏み出した。
床がどうしようもなく柔らかく感じる。
くらっときた瞬間、がっしりと脇にしがみついてきた感触に、菊は軽く目を見張った。
いつの間にか部屋に飛び込んできたベラルーシが一生懸命支えてくれようとしている。
「だいじょうぶ」
菊が耳が聞こえていないのを見てとったのだろう、ベラルーシがはっきりと口をそう動かした。
菊を心配してのセリフというより、いいから任せとけ、といった意味合いで言っているらしい。
うんうんと頑張って菊を支えようとしている。
菊は小柄とはいえ成人男性であり軍人であるため、支えるというよりしがみつくような格好になっているが。
頭はまだくらくらしている。足取りも定かではない。なによりベラルーシの気遣いが嬉しかった。
笑いながら菊は言った。
耳が聞こえないため、ちゃんと言葉になっているかは定かではなかったが。
「甘えていいですか」
ベラルーシはちょっと目を見張ると、こくこくこくと頷いてくれた。
何かを考えるように菊を見上げたあと、何かを喋っている。
菊がすいません聞こえません、というジェスチャーをするのを確認すると、こくりと頷く。
まるで聞こえなくていい、とでも言うように。
首を傾げる菊の腕を無理やり肩にまわすと、しがみつくように菊を支え始めた。
なんて言っていたのだろう。
エドとライヴィスに目だけで尋ねたが、二人ともぽかーんと目と口を呆けたように開けていた。
・・・気になる。
ベラルーシを見たが、ちょっと笑って「ないしょ」としか言ってくれない。
耳が聞こえないことを惜しく思った菊だが、この瞬間だけは耳が聞こえなくてよかっただろう。
イヴァンの館内放送を聴かなくてすんだので。

『今爆発した部屋に転がってる子達。風邪引くよー。誰か回収したげて』
「イヴァンが行けばいいのに」

ベラルーシの呟きも菊には聞こえない。
なるべく自分で歩きつつ、どうしてもだめそうな時だけベラルーシにちょっと体重を預けた。
軽く上がった息と上気した頬に申し訳なくなるが、そのたびにベラルーシが「大丈夫」ぶんぶか首を振る。
やはり金平糖くらいではおいつかない。
今度改めてきちんとお礼をしようと菊は決意を固めた。そうだ。今度イヴァンに聞いてみようか。

『きみ達の顔は覚えたから、忘れて欲しかったら努力してね』

なんていっているんでしょう。
首を傾げた菊に、エドとライヴィスがジェスチャーで教えてくれる。
どうやらイヴァンは犯人に告げているらしい。
菊はふんふんと頷いた。





『僕のものに手を出したらどうなるか、よくわかったでしょう?』





なんて言っているんでしょう。
再度首を傾げた菊に、エドとライヴィスは青い顔でぶんぶんと首を振るだけだった。
ベラルーシを見れば、盛大に嫌そうな顔をしている。
救護室に行くのかと思いきや、そのまま図書館に向かいだしたベラルーシに「ん?」首を傾げた菊だった。
ベラルーシは「ん」ただ頷いてみせる
「こっちの方が近いから」
そう口の動きで告げてくる。
菊はなるほど、と頷いた。
エドとライヴィスはあわあわしていたが、二人もベラルーシの後に続き始めた。
たった今館内放送で警告されたばかりである。
放っとくわけにはいかなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ぷっつん。館内放送を切ったイヴァンは、すっかり冷えてしまった体に眉を下げた。
「寒いなぁもう」
口調とは裏腹に、イヴァンの目には炎が凍ったような煌々とした光が燻っていた。
前髪を乱雑にかき上げて、先ほど爆発した部屋を見下す。
「なんかすっきりしないなぁ」
いっそ跡形も無く消してしまおうか。
イヴァンは腹の奥底に燻る感情の行き場を持て余していた。



滅多にならない直通の内線が鳴り響き、これまた滅多にない緊迫した口調のベラルーシは告げた。

たった一言。



『菊が危ない』



イヴァンは考えるよりも先に館内放送のスイッチを叩きつけていた。
そうして誰もいない窓を見つけた瞬間、すっと目を細めて、そして。

「うーん」
執務室は見るも無残になっていた。
防寒窓は開け放っていたものの、発射の際の衝撃で使い物にならなくなっている。
しかも発射台が反動で壁にめり込んでしまった。
「直るまで菊の部屋に泊めてもらおっと」
そう呟いた瞬間、なぜかともていい考えのような気がした。
どうやったら一番驚くだろうかと考える内、先ほどの燻った感情を忘れしまうくらいに。
イヴァンはマフラーをもふっと巻きなおすと、ひょいっともう一度双眼鏡を覗き込んだ。
おそロシア様の命令はまだ解除されていない。
誰もが窓に群がる中、からっぽの窓は2つ。
一つは先ほど吹き飛ばしてしまった。
もう一つの窓は図書館だった。
イヴァンは口元で笑うと、館内放送のスイッチを押した。ぽちっとな。

「お見舞いに行くよ。僕の分の紅茶もお願いね、ベラルーシ」

今度こそ館内放送のスイッチを切った。
さて、お見舞いは何がいいだろうか。