か ぐ 夜 





今夜はおあつらえ向きの満月になりそうだった。
すかっと晴れ渡る秋空に鼻歌を歌いながら、フランシスはヴァッシュの店の暖簾をくぐった。
右手にはヴァッシュと菊への土産の洋酒を握り締めている。
「よっ。ヴァッシュ」
ヴァッシュは無言で算盤を弾き続けている。
いつもと同じ光景のはずなのに、何かが違う。
フランシスはなんだろうと首をひねっていたが、ふっと違和感の内容に気づいた。
ヴァッシュに思いついたまま声をかける。

「菊はどうした?」
「帰った」

淡々と言い切ったヴァッシュに、フランシスは目を剥いた。

「村の外れの自分の家に」

フランシスはがくっと首を折ると、その場にどっかりと腰かけた。
「驚かせんなよ!」
ヴァッシュは無言だった。
算盤を撃つ音だけが響く中、フランシスは不審げに眉根を寄せた。
どれくらいそうしていただろうか、口火を切ったのはフランシスだった。
「・・・どうした」
ぱちん、と算盤を弾き終わると同時に、ヴァッシュは重い口を開いた。

「今夜、迎えが来るそうだ」








今夜、兄と弟が迎えに来る、自分は帰らなければならない。
そう切り出した菊に、ヴァッシュはなぜだ、とだけ呟いた。
わかるんです、と菊は言った。
そうではない、とヴァッシュはとうとう言うことができなかった。

「本当に、お世話になりました」
深々と額づく菊に、ヴァッシュは無言だった。
あまりにも唐突過ぎて、現実味がわかないのだ。
菊は実は、と重々しい口調で切り出した。
「ここに療養に来た理由、本当はもう一つあるんです」
す、と小さな小瓶を差し出した。
ヴァッシュがふってみると、たぷんと液体のゆれる音がする。
菊は目を伏せたまま語りだした。

「不老不死の妙薬です」

菊は言った。
月にいる時、自分は瞬き一つで力が抜けるほど死に掛けていたのだと。
ある日突然、兄と弟がこれを自分に握らせたこと。
死ぬくらいならば、いっそ不老不死になってしまえと言ったこと。
月の中で、その薬は持っているだけで重罪になるのだということ。
本当は、地球へは療養のためではなく、隠れてこの薬を飲むために来たのだということ。

「幸いに、その薬を飲まずにすみました」

地球の空気があっているのだろうと、菊は笑った。
なによりもヴァッシュに会えたことが大きいと、菊は微笑んだ。

「言葉では言い尽くせないほど感謝しています。せめてものお礼に」

受け取ってくださいと、菊はヴァッシュに小瓶を差し出した。
家を整理してきますと、一礼した後菊が立ち去ったあとも。
ヴァッシュはとうとう何も喋らなかった。







―――かぐや姫もかくや」
フランシスが歌うように呟いた。
満月の夜に帰るとは、と感心したように付け足して。
「かぐや姫の最後って、地方で色々違うんだけどさ」
ぱちぱちと、ヴァッシュはまた算盤をはじき出した。
帳簿と思ったそれはただ白いだけの紙の束で、フランシスは目を悼めた。
「かぐや姫が唯一文を交わした天皇に、不老不死の妙薬を渡す話があるんだよ」
結局燃やしちゃうんだけど、それってさ、とフランシスは続けた。
「待っててくれ、って意味だったと、俺は思うんだけどね」
いつかもう一度会いに来るその日まで。
ヴァッシュは算盤を弾き、紙に何かを書き込む、を繰り返している。
ようやく何か呟いたかと思いきや、その口調は冷たかった。過ぎるくらいに。
「我輩は待つ気など毛頭ない」
フランシスはたまりかねたように「なあ」と強い口調で言った。
「こんなとこで意地張って算盤弾いてなんになるんだよ。お前一生後悔するからな!」
せめて軍勢用意するくらいしろよ、と言い切ったフランシスに、ヴァッシュは冷たく言い放った。
「用意して、それで止められるものならとうに用意している」
何も言うことができないフランシスにかまわず、ヴァッシュはすっと立ち上がった。
いつの間にか紙にはびっしりとなにかが書き込められていた。
ヴァッシュは小瓶をたぷんとふってみせると、フランシスに言った。
「飲むか?」
「冗談」
「だろうな」
言うなり瓶をさかさまにしたヴァッシュに、フランシスはぎょっと目を見開いた。
どぼどぼと床にぶちまけられる液体に、ヴァッシュはなんとも冷たい視線を投げつけている。
「おまっ!」
最後の一滴まで落としきってしまうと、ヴァッシュは瓶を壁にたたきつけた。
派手な音と共に、瓶は跡形もなく木っ端微塵になる。
「相手が幕府ならば引いていた」
ヴァッシュは静かに語りだした。

異国人の村の平和は砂上の楼閣だ。
ヴァッシュやフランシスのような、有益なものをもたらす者がいて初めて容認される。
けれど少しでも幕府が目をつける口実を与えてしまえば。

「相手がかぐや姫というなら話は早い」

―――打ち落とすまでだ

静かに呟くヴァッシュの手にした紙には、びっしりと数式が書き込まれていた。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○




次々とあがる爆音。ついで大空に盛大な花が咲いた。
時期外れの花火に、村の者はみな盛大に拍手を送っていた。
口々に「満月に花火たぁ贅沢だねぇ」などとのんきなことを呟いている。
「・・・・・・・・・・」
菊は村外れの家の外で、ぽかんと大口をあけて花火を見ていた。
その顔から見る見る内に血が引いていく。
「哥哥・・・ヨンス・・・!?」
思いっきり空中で爆発したあれは、紛れもなく二人の乗っていたものだろう。
自分が死ぬことは幾度となく想像したが、あの二人が先に死ぬことなど想像もしていなかった。
青い顔でその場にへたりこんだ菊に、冷静な声がかかった。
「変わった名なのだな。お前の兄弟は」
菊はぎょっとした振り返った。
「ヴァッシュさん・・・」
「安心しろ。死んではいない」
「なんでわかるんですか!?」
「我輩が綿密に計算したからな」
びっしりと綿密に計算式を書き込んだ紙を見せてやる。
もちろん菊にはなにがなんだかわからない。
ただ、ヴァッシュから香る火薬の香りに、さぁっと血の気が引いた。
「ヴァッシュさんが・・・」
「撃ち落とした」
迎えと思わしきそれが目視できた瞬間に。ためらいもなく。
死なない程度にやった、と付け足したヴァッシュに、菊は声もない。
「そんなに、私のことを恨んで・・・」
「逆だ」

ヴァッシュはフランシスに菊に対して思っていることをぶちまけてみた。
するとフランスは顔をしかめたかと思うと、額を押さえて言ったのだ。
それ、俺じゃなくて本人に直接言ってやれ、と。

フランシスにあんなにも長々と語ったそれは、たった二文字で言い表せるそうだが、フランシスは頑として教えてくれなかった。
それを俺がお前に言っても意味がない。
お前から菊に言って初めて意味があるのだと。
「逆って・・・」
菊さえ自分の傍にいるならば他はどうでもいいと思っていた。
だが、菊が悲しむだろうと思い、ただそれだけの理由でこんなにもみっちりとした計算式を立てて。
二人で黙って月を見る、それだけの時間がなによりも重要に思える不思議のために。
つまりは、そういうことなのだろう。

「我輩はお前に傍にいて欲しい。ただそれだけだ」

へたり込んでいた菊に視線を合わせ、その濡れた瞳を間近に覗き込んだ。
「菊。お前は?」
逃がす気はない。手を絡めとるように握りこんだ。
夜目にもその顔が赤くなった瞬間、地を這うような声が割って入った。

「我のこと撃ち落としておきながら人の弟口説いてんじゃねーあるぅぅぅ・・・・・」
「死ぬかと思ったんだぜ・・・・・」

二人とも頭の先からつま先までずぶぬれで、息も絶え絶えである。
ところどころ焦げていたし、擦り傷まみれだが、それでも生きていた。

「哥哥!ヨンス!」
菊が叫んだ。
哥哥と呼ばれた男がべりべりと菊とヴァッシュを引っぺがす。
「マジで殺されると思ったある。っつーかおめー絶対殺す気で来てたある」
「ちゃんと湖に落としたであろうが」
「俺達が泳げなかったらどうするつもりだったんだぜ!」
ヴァッシュは黙った。そして明後日の方向を見つめながら呟いた。
「なんとかなるのだ」
「考えてなかったんだぜ!?」
「大丈夫である」
「何を根拠に!?」

ぎゃーぎゃー言い募る菊の兄と弟に、ヴァッシュは堂々と言い放った。

「我輩の菊に対する感情は世界も救うらしいからな。人二人くらい救えるであろう」

フランシスの教えである。
菊は真っ赤に、反対に兄と弟は真っ青になった。
しばしの沈黙。
爆発するような勢いで叫んだのは兄と弟の方であった。
「ぜってーおめーみたいなヤツに我の弟はやらんある!」
「うわーん!『今夜が峠です』と『娘さんを下さい』が同時にきたんだぜー!」
「落ち着いてください二人とも!」
「渡す気はないのである」
「ヴァッシュさん会話すれ違ってますから気づいて下さいお願いします!」
「菊!そこは『私のために争わないで!』が正解なんだぜ!」
「空気呼んでくださいヨンス!」
「ほあたっ!」
「貴様などナイフ1本で十分だ!」
「二人ともやめてくださいいいいい!」



まさしくカオスであった。



結局しばらく経った後。
「菊も生きてたし、俺達も生きてたし、とりあえず嬉しいんだぜ!」とのヨンスの発言に、皆落ち着きを取り戻した。
ヴァッシュはヴァッシュで「菊さえ傍にいればそれでいい」と言い切る始末。
王とヨンスは、
「地球の空気が合うならそうするある」
「菊に合うなら俺達にも合うんだぜー!」
とあっさり移住を決め込んだ。

菊は力なく「もう好きにしてください・・・」と呟いた。

ので。

「じゃあ帰るのである」

ヴァッシュが菊を当然のように俵持ちで持って帰り、王とヨンスがぎゃーぎゃー言いながら後に続いた。

後日、当然のように数を増したヴァッシュの家の住人に、フランシスが「何事よこれ」と呆然と呟いたり。
ヴァッシュは平然と「舅だ」と言い放ったり。
王が「誰があるかあああああ!」と放ったとび蹴りを、ヴァッシュが鞘に収めたままのナイフで受け止めたり。
無責任に王を応援する、というか囃し立てるヨンスの姿があったり。
そんなこんなを呆然と見守るフランシスに、そっと茶を差し出す菊の元気な姿があったり。
ようはそういうことらしい。



どっとはらいどっとはらい

























































○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○



「部屋はわけるぞ」
「好きにしてください」
「王とヨンスで一部屋。我輩と菊で一部屋だな」
「お好きなように」
「またか菊。自分の意見を言うのだ!」
菊はちょっと顎に手を当てて考えていたが、ちらと辺りを見回してから、ヴァッシュの耳元に囁いた。
「・・・あなたの好きにされたいです」
菊の顔は沸騰したように真っ赤になっていた。
しばらく目を見張って菊の顔を見つめていたヴァッシュだが、菊の背後の柱からじぃっと見つめる影に気づいた。

「むっつりある」
「むっつりなんだぜ」

だじょーだじょーん

わーきゃー言いながら逃げ惑う二人を狙撃するヴァッシュに縋りついて止める菊の姿があったとかなかったとか。