か ぐ 夜 





異国人ばかりが住む小さな村があった。
竹を切って生計を立てている者もいる中で、ヴァッシュの生業は村の中でも異色を放っていた。
両替商兼鉄砲団である。
金貨・銀貨の交換だけではなく、幕府の公金までも扱い、今でいう銀行のように預金や為替の業務も行っていた。
国中のありとあらゆる財布を握っているため、異国人といえど迂闊に手を出すことができない。
更に、その財源を守り通すだけの軍事力までも揃えていた。
ヴァッシュはこの国で誰よりも多く銃を所有していたのである。
彼の鉄砲団を味方につければ必ず戦に勝てるとの畏敬までも勝ち得ていた。

そんなこんなで、ヴァッシュは村の中でも一目置かれる存在になっていた。
ちょうど今のように、何か異変があれば必ず彼の元へと報告が入るほどに。
「噂のお姫さんなんだけど、お前はどう思う?」
「計算が合わん」
「無視かよ」
―――フランシスはがっくりと肩を落としたが、ヴァッシュは眦を吊り上げながら光速で算盤を弾いていた。
フランシスは金髪に淡い目をした美丈夫で、女物の派手な着物を着崩している。
前をはだけたそれに色町の女はきゃーきゃー言っていたが、ヴァッシュは男だったので見苦しいと一言言い捨てただけである。
これがどうして、幕府の高官を相手になかなか手堅く洋酒を商っていて、意外に人脈が広い。
人を扱うのが上手いのか、人よりいち早くこうした情報を掴むのもフランシスだった。
「気にならねーの?噂のお姫さん」
「帳簿の数字の次くらいにはな」
「優先順位低ッ」
ヴァッシュはぴたりと算盤をはじく手を止め、帳簿をばさりとめくり返した。小さく舌打ちする。
単純なミスだった。帳簿の字が悪筆なため、数字を見間違えたのだ。
ばぢばぢばぢ、と苛立ち紛れに算盤を叩きつけること数秒、ようやく計算がぴたりと合った。
乱暴に帳簿を閉じると同時に、フランシスがにやにやと話しかけてくる。
「優先順位繰り上げてオッケィ?」
よほど話したいのか、退く気は無いらしい。
時は金なりが持論のヴァッシュは、一番効率のいい手段をとることにした。
さっさと話を聞いて追い返すことにしたのである。
「手短に話せ」
「りょーかい」





異国人ばかりが住むこの小さな村に、一人の日本人が住み着いたという話なら耳にした。
住み着くどころか、普通の人間ならば出来る限り近寄らないようにするのが常である。
悪いことをすると異国人にさらわれますよ、だの、異国人に食べられますよ、だの言われているくらいだ。
世間一般の異国人のイメージが知れようというものだった。
それだけに、みな首を傾げていた。
名は本田菊。
聞けば、病を患っているらしく、この村には療養に来たらしい。
ますます首を傾げる話であった。
どこか滲み出る品の良さや、病を患っていると言いながら夜に月を見上げていた行動などが、村人の噂話に拍車をかけた。

「良家の生まれであったが心の病を患い、家名に傷がつくことを恐れた家の者がこの村へ追いやった」だとか
「実はこの世の生まれではなく、なんらかの罪を犯し、その罰で月からこの地へと追放されたのだ」だとか

退屈していた村人の格好の遊び道具にされている。
悪乗りして「かぐや姫」などと呼び出す者まで現れる始末。
その日本人の家に家にどれだけ近寄れるか、子ども達が度胸試しまでする有様らしい。





ヴァッシュは顎に手を当てて呟いた。
「名は初めて聞いた」
「俺も昨日の夜聞いたばっかりだしな」
「話したのか?」
「偶然」
フランシスはひらひらと手を振った。

昨晩のことだ。
フランシスが商談を終え、酒宴に招かれた帰り道。
駕籠を断って徒歩で帰ったため、村に着いた頃は夜中だった。
提灯を引っさげて家を目指していると、村の外れにある大きな岩の上にちょこんと腰掛けている人影が。
不審に思って近寄ってみると、驚いたことに噂の渦中の日本人であることが知れた。
フランシスが思わず固まっていると、同じく驚いたらしいその人物が、瞬き2回ほどの間を空けてから微笑んだ。
「こんばんは」
声を聞いて、フランシスは軽く目を見開いた。

男だったのか。

どこか漂う気品は育ちのよさを感じさせるし、なにより線の細い小柄な体つきは、同じ男とは思えないものがある。
いや、むしろこの世のものではないような?
フランシスは内心で首を捻った。
確かに、どこか清浄とした雰囲気など、皆がこの世のものではないと噂するに頷ける雰囲気がある。
内心ではけっこう驚いていたが、フランシスはすぐに人好きのする笑みを浮かべて話しかけた。
「初めましてだな。月見かい?お姫さん」
「期待はずれで申し訳ありませんが、私は男ですよ」
「期待以上だよ」

「手短に話せ、と言わなかったか?」
「あだだだだだっ。ちょっ、ギブギブギブギブ」
ヴァッシュがフランシスの頭を片手でぎりぎりと締め付けた。

それからしばらくは他愛も無い話をした。
名は本田菊。
病を患っていること。
その病の治療のために、人との関わりを避けねばならないこと。
何の病なのかと核心に触れれば、名前を聞いてもわからないと思いますと困ったような笑顔ではぐらかされた。
触れて欲しくないのだろうと見て取ると、フランシスはあっさりと話題を変えた。
「月見は体に障らないのか?」
「ええ。というより、見ないと不安になるというか」
月見中毒?
禁断症状でも出るのだろうか、それが病の正体なのだろうかと首を捻るフランシスに、菊は慌てて手を振った。
「違います。ええと・・・」
困ったように眉尻を下げながら、懸命に言葉を探している。
しばらく虫の鳴く音だけが聞こえていた。
そうして唐突に、菊は言い放った。
真摯な表情で。

「私が月から来たといったら笑いますか?」


「・・・それでどうした」
「どうりで滅多に見かけない美人だと思った、って言ったさ」
「誤魔化したのだな」
フランシスは苦笑して、降参という風に片手を挙げてみせる。
「まあ、そうなるわな」

それから、フランシスは月ってどんなところだ、と笑い混じりに話したりした。
菊も悪乗りしたのか、それとも真面目なのか、色々な話を、


「そこはどうでもいい」
「あらら」

やはりフランシスからしてみれば、やはりどれもが夢物語にしか聞こえなかったが。
菊にもわかったのだろう。
ちょっと寂しそうに笑って、付き合ってくれてありがとうございました、と去ってしまったらしい。


「話はそんくらいだけど、ちょっと菊に言い忘れてたことがあってな」
「何だ」
「お前のことだよ」
フランシスがぴっと指差してきたのでヴァッシュはにべもなく払い落とした。
「我輩とその者が何の関係がある」
「聞けって。月見は日課らしいが、毎日同じ場所で眺めてるわけじゃないそうだ」
ヴァッシュは眉尻を跳ね上げた。
「それは、我輩の土地に立ち入る可能性があるということか」
ヴァッシュの引きこもりは有名な話だ。
両替商としてのヴァッシュに用があるもの以外は、許可なく立ち入れば即発砲する。
この村でそれを知らない者はいないが、菊はこの村に来て日が浅い。
ましてや人との関わりを避けているとなれば。
「ま、そういうこった」
フランシスはそう結ぶと、裾を払って立ち上がった。
「菊が土地内に入っても、発砲してやるなよ。せいぜい警告ぐらいにしとけ」
「そもそも我輩はその菊とやらを知らん」
鼻を鳴らしたヴァッシュに、フランシスはにやりと笑った。
「見たらわかるさ。惚れるなよ」
「意味がわからん」
眉間にしわを寄せて言い放つヴァッシュを見て、フランシスは笑いながら去っていった。
大して興味をそそられない話だった。
もう一冊の帳簿の計算をするうちに、その話はヴァッシュの記憶の隅に追いやられてしまったほどだ。
だから、実際にその日本人を見た時も、しばらく名前が出てこなかった。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○



もう大分秋も深まってきた。
羽織を着て縁側に出ると、少し肌寒い。
一日の仕事を終え、ヴァッシュは月明かりに誘われるままに気ままな散策を決め込んだ。
見知った己の土地ということもあり、提灯も下げずに月明かりを頼りに歩いた。
人のざわめきと違って、木々のざわめきは不思議と静かに耳に心地よい。
さわさわとしたそれに耳をすまし―――ヴァッシュの眉がつりあがった。
人の気配だ。
ほどなくして、砂利を踏みしめる音が聞こえてきた。
思わず舌打ちする。
ヴァッシュは人の気配には聡い。いっそ過敏だといってもいいほどに。
その自分に悟られずにここまで進入してきたとなれば、故意によるものか人ならざる者によるものとしか考えられなかった。
「止まれ」
刀の閃きにも似た鋭い声を叩きつける。
砂利を踏みしめる音が止まった。
「我輩の土地と知って立ち入ったか。何が目的だ」
「え・・・?」
困惑したような声があがる。
月明かりだけでは、そこにいることはわかっても表情までは見て取れない。
暗闇を睨みつけるヴァッシュに、恐縮したような声がかかった。
「貴方の土地とは露知らず、申し訳ありません」
闇の中、深く頭を下げる気配がする。
「目的というほどの目的はありません。ただ、月明かりに誘われるまま月見を・・・」
不快にさせたなら今すぐ立ち去ります、ともう一度頭を下げる気配がする。
その育ちのよさを窺わせる口調と、月見という単語に、ヴァッシュの脳裏に何かが引っかかった。
こほ、と控えめな咳が聞こえてきた頃、ようやく「本田菊」という名前が頭の中でぴこーんと点滅した。
「本田菊か」
「え・・・?私をご存知で、」
げほ、と今度はいささか強めに咳き込んでいる。
そういえば、と、病を患っていたことを思い出し、辺りの空気の冷え込みに気づく。
ヴァッシュはじゃり、と踵を返した。
「ついて来い」
「はい?」
「我輩の土地で死なれては迷惑だ。話は家で聞く」
さっさと家に向かって歩き出す。
後ろの空気はどこか戸惑っていたように感じたが、すぐに砂利を踏みしめる音が後に続いた。



「申し訳ありません。かえってご迷惑をおかけしてしまって・・・」
「無理して喋るな」
菊は頭を下げると、白湯を飲んだ。
ほ、と見るからに人心地ついた様子である。
白湯は赤ん坊に飲ませたりもする。
病を患っているならば、へたな茶よりもこの方がいいだろうと思ったのだが、どうやら正解だったようだ。
フランシスから聞いたことを話した後は、菊の咳が収まるのを待ってしばし無言でいた。
人の気配はわずらわしいばかりだが、不思議と菊の気配は気に障らず、沈黙は不快ではなかった。
どうやら、元より気配が薄い性質らしかった。
月を見上げるその横顔を見る。
フランシスの言葉や、村の者が「かぐや姫」と揶揄ったことを思い出し、なるほどと頷いた。
間近で見るその横顔は、太陽の下よりも月光が似合っている。
さながら逆光合成といったところか。
太陽で呼吸をする植物の光合成とは違い、月光の下でようやくほっと一息つくような。
向こうの景色が透けて見えそうな薄い気配は、人によっては人ならざる者と恐れる類のものだろう。
極端に人嫌いなヴァッシュにとっては、むしろその薄い気配が心地よい。
他人を傍において落ち着くなど、今まで生きてきて初めてかもしれない。
くし、と小さなくしゃみが聞こえたので、ヴァッシュは着ていた羽織を菊に着せてやった。
「そこまでしていただくわけには」
慌てて遠慮する菊に、ヴァッシュは一言「いいから着ておけ」と言い切った。
どうやら強く出られると弱い性質らしい。
ひとしきり恐縮していたが、結局菊はおずおずと羽織に袖を通した。
「申し訳ありません」
「かまわん。我輩は酒を飲んでいるしな」
フランシスが見たら目を剥いて縁側から落ちかねない光景だった。
あのヴァッシュが他人を傍に置き、あまつさえ気を遣っている、と。
ヴァッシュにしてみれば、菊の風がふいたら吹っ飛びそうな儚い風情は、見ていて放っておけないものがあるのだ。
「病を患っていると聞いた」
「・・・はい」
菊が僅かに身をこわばらせた。
ヴァッシュはフランシスのように巧みに核心ぎりぎりに触れる話術はないし、そもそも核心に触れる気はなかった。
見てわからんなら聞いてもわからんだろうと、菊の素性も病もあっさり興味を断ち切ったのである。
ヴァッシュにとって重要なのは、菊が傍にいて心地よい稀有な人間であるということだった。
「秋も深まっている。薄着で出歩くのはやめておけ」
菊は目を丸くしている。
「どうした」
「・・・勝手に貴方様の土地に入ってしまったものですから、お叱りを受けるとばかり」
「ヴァッシュでいい」
へりくだった呼び方は、異国人がと心の中で蔑みながらヴァッシュの財力に目を油っぽく輝かせる役人を思い出して気分が悪い。
「我輩の土地は許可なく立ち入るなと言明している。村の中にも外にも」
「はい。存じ上げないこととはいえ、申し訳ありませんでした」
「やめんか!誰がそんなことをしろといった!」
その場に額づいた菊の頭に、ヴァッシュはぺっしんと小さな木片を投げつけた。
痛みよりも驚きで頭をさすりながら体を起こした菊は、その小さな木片を見てきょとんとした。
「あの、これは・・・」
「許可証だ。我輩の土地に立ち入るならそれを持っていろ」
菊はびっくりしたように目を見張っていたが、許可証とヴァッシュをかわるがわる見比べて、深くお辞儀をした。
「申し訳ありません」
「詫びて欲しくてやったのではない」
ヴァッシュが睨むと、菊は怯むどころかきょとんとすると、嬉しそうに微笑んで言った。
「ありがとうございます。ヴァッシュさん」
「・・・ああ」
どこかもぞもぞとするような居心地の悪さを感じて、ヴァッシュはすいと視線を逸らした。
ヴァッシュでいい、といったが、菊はこれだけはといって譲らなかった。
変なところで頑固なやつである。
数少ない友人と呼べるフランシスとは正反対の人間だが、ヴァッシュと菊は不思議に馬が合った。
似たもの同士なのだろう。
他愛もない話がずいぶんと弾んだ。
口濡らしに酒を勧めてやると、強くはないが好きらしいく、これまた嬉しそうに笑う。
だいぶ喋っただろうか、ふとヴァッシュは思いだした。
人との関わりを避けねばならない病と聞いていたが、こうして座って酒を酌み交わすことは大丈夫なのだろうか。
菊は笑って「大丈夫です」と言った。
「人との関わりを避けねばならないというのは、私がストレスが原因で体を壊したことにあるんですよ」
「そうなのか」
「ええ。周りの人間に気を遣うのがクセになっていて、放っておくことがストレスになるというか」
「なるほどな」
「元々体が弱かったんですが、とうとう体を壊してしまって。一度環境を変えてみようということに」
「懸命だな。お前の性質では人との関わりそのものを避けた方がいいだろう」
ヴァッシュは思わず納得した。
菊はますます目を丸くしたあと、心から嬉しそうに笑った。
「ヴァッシュさんといるのは、全然ストレスにならないんです。むしろとても楽です」
「・・・初めて言われた」
ヴァッシュは眉を寄せた。
耳慣れない言葉で、どうにもくすぐったいものがある。
「そんなことないです。ヴァッシュさんは癒し系ですよ」
「それも初めて言われたな」
二人とも顔こそ素面そのものだが、実はしっかり酔っていた。
菊はにこにこと笑いっぱなしだったし、ヴァッシュもヴァッシュで眉間のしわが消え、時折口の端で笑って見せた。
「私も、初めてです」
「なにがだ?」
「人との関わりを避けねばならぬ病と言って、それでも接して頂けたのは」
菊は膝の上に乗せた許可証を、嬉しそうに包み持って見せた。
「感染る病と思うのでしょうね。どうしても」
また、そう思ってくれたほうが、人との関わりを避けた方がいい菊にとって好都合だった。
「それでも、やっぱりちょっと寂しかったんですよね。今までが賑やかだった分」
「難儀な奴である」
ヴァッシュは呆れたように言った。
人がいてもストレスになり、いなかったらいなかったらでしんどい思いをする。
今のままでは、今すぐ死ぬかゆるやかに死ぬかしかないだろう。
ヴァッシュはなんでもないように言い放った。

「ならば我輩のところへ来ればいい。お前は他の人間と違って邪魔にならん」

菊はぽかんとした顔でヴァッシュを見つめている。
「え」
そう呟いたきり呆けたような顔で固まっている。
声もない様子だった。
「嫌なら無理強いはせんがな」
「まさか!」
叫んで、菊はげほげほと咳き込んだ。
ヴァッシュは呆れたように背中をさすってやる。
「ばか者!叫ぶやつがあるか!」
「す、ませ・・・」
涙目になった菊の咳が収まるのを待って、ヴァッシュは言った。
「とりあえず、今日は泊まっていけ。それから考えろ」
「いえ、さすがにそこまでご迷惑をおかけするわけには」
「元より病人一人で夜道を帰す気はない」
きっぱりと言い切ると、尚のこと言い募ろうとする菊をひょいと荷物のように担ぎ上げた。
ヴァッシュの布団がしいてあった部屋に菊を放り込んでやる。
この部屋なら暖めてあったし、大丈夫だろうと踵を返したヴァッシュに、菊がしがみついた。

「ならせめてヴァッシュさんがこの部屋を使って下さい!」
「馬鹿を言うな病人が!」
「いいえ譲りませんその方がストレスになりますし!」
「面倒くさいな貴様!」

二人とも結構な量を飲んでいたので、冷静さなど縁側に置き忘れてきたようだった。
ぎゃーこらぎゃーこら言い合っていたが、そのうち体力の限界に達した二人は判断力も失っていた。
さも名案のように同時に思いついたのである。

もう二人で寝ればいいじゃん。

それで本当に寝てしまうあたり、二人は酔っ払っていたし疲れていた。