悪魔め。
呟くその顔こそが悪魔のようだ。

「日本語はわかり辛いにもほどがある」
「なら、わざわざ勉強しなくてもいいでしょうに」
「いや。ヒーローに不可能は無いから大丈夫だ!」

そっこーでけつまずいてますよね。

日本はそっと心の中でだけ呟いて、お茶のおかわりを入れるべく立ち上がった。
言わぬが花というものである。
「緑茶と紅茶とコーヒーと、どれがいいですか?」
「こないだ持ってきた青いのはどうしたんだい?」
「流しに流さずに布にしみこませて捨てました」
アメリカ愛用の原色ドリンクはプチテロ扱いを受けていた。
居間でBooBoo言っているアメリカの言葉を右へ左へ受け流し、イギリス土産の紅茶を入れる。
ずいぶんといい茶葉らしく、ふわっと立ち上る香りに日本は目を細めた。
「イギリスさんが持ってきてくださる紅茶は、やはり一味違いますね」
「紅茶だけはね」
「・・・まぁ。ちょっと休憩なさいませんか?」
即座に飛んできた「お茶請けはないのかい?」という声は予測済みだ。
カステラを切って、琥珀色の紅茶と共に居間に戻る。
「日本。この文章おかしいぞ」
「どれですか?」
アメリカの手にある本を覗き込めば、椅子に座って話している男女のイラストがある。
どうやら花子と太郎が喫茶店で愛を語らうという舞台設定らしい。
「ええと・・・『花子と太郎は近くの喫茶店に入った。そして椅子に腰掛けて、メニューを・・・』」
「そこだよ!」
アメリカは「Here!」と、椅子に腰掛けている男女を指差した。
「なんで『腰をかける』なんだい?彼らがかけたのは尻だろう?」
「・・・ええとですね・・・・・」
「そもそも座ると腰掛けるの違いはなんなんだい?」
「腰をかけるというのは限定的で、座るというのは、」
「What!?日本語の告白は“I”も“you”もいらないのかい!?」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「へえ。honeyは日本語だと蜂蜜なのか。で、なんて読むんだい?」

アメリカの質問はなかなか侮れないものが多い。
日本が四苦八苦しつつ解説しても、それが終わらない内に新たな疑問に目移りしたりしている。
子どもに勉強を教える上で一番必要なのは忍耐力だと、日本はしみじみと実感した。





翌日。
G8会議を終えた日本は、縦線背負いつつ会議の場を後にしていた。
・・・疲れた・・・・・
会議の疲れもさることながら、昨日の疲れが尾を引いている。
年ですかね、と肩をこきこき鳴らしつつ歩いていたら、ある一室から聞き覚えのある声がした。

「お前らしくないな」
「そうかい?」

フランスさんとアメリカさん?
ふと足を止め、これでは盗み聞きだと踵を返す。
「日本に惚れてるんだろ?さっさと抱いちまえばいいのに」
日本は瞬時に180度方向転換した。
結果的にその場で一回転した日本は、不穏な会話を止めるべく扉に手をかけたが、アメリカの声にぴたっと動きを阻まれた。
「もちろんそうしようと思えばできるさ。キスもセックスも簡単。だからそれ以外の方法で伝えたいと思うんじゃないか」
扉の隙間からは肩をすくめて呆れているフランスの後姿と、真剣な表情のアメリカが見えた。
アメリカは眉間にしわをよせ、ポップなイラストがかかれた教科書をめくっている。
角が丸くなったその教本は日本がアメリカのために選んだものだった。





気づけば日本は家に帰ってきていた。
どこをどうやって帰ってきたかは覚えていないが、途中すれ違ったイギリスがぎょっとした顔をしていたのを覚えている。
荒い息をついて頬に手を当てると、日本は顔をしかめた。
とりあえず冷水で洗おう。そうしよう。
「・・・はあ」
りりりん。りりりん。
顔を洗っていると、突如鳴り響いたベルの音が鳴り響いた。
思わず肩が跳ねた。
電話をFAX機能付きのものに買い換えてからも、以前使っていた黒電話のベルの音を着信音に設定していた。
慌てて手ぬぐいで拭うと、受話器を取ろうとするが、どうやら電話ではなくFAXらしい。
かたかたと電話から流れる紙には、随分とぶきっちょな日本語が書かれていた。
髪の先から伝う滴をぬぐいながら、日本は目を通した。

『侍ってて。今から行くから』

「さむらってて・・・?」

ああ。待っててのことか。
日本は顎に手を当てて文章の解読に勤しんだ。

『ヘンヅを考えておいて』

「ヘンヅ・・・ベンツ?いや、ヘンジ・・・返事のことですね」
文章を目で追うに連れ、日本の手は顎から口元へと移動していった。



『わたしのはちみつずっといっしょに』





ぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽーん。
リズミカルに連打される呼び鈴を背に日本はダッシュで顔を洗いに行った。













「やっほぅ」
「・・・どうも」
玄関先に立つアメリカはこの上なく上機嫌で、日本は内心はどうであれ無表情を貫いていた。
「返事は?」
「蜂蜜は別に訳さなくていいんですよ」
アメリカは日本の頬に触れ、予想に反して冷たいそれに軽く目を見張った。
そして心底嬉しそうに笑った。

「日本はわかりやすいな」

耳真っ赤だよ。

嬉しそうに呟くアメリカに日本は抗議の声ごと塞がれた。