しとしと。しとしと。
日本の異常なまでの湿気の高さに辟易する外国人は多くいたが、こんなにも嬉しそうにするのは後にも先にもこの人だけではないだろうか。

「・・・楽しいですか」
「うん」

雨に濡れそぼる庭先を眺めやる客人に、日本はこっそりとため息をついた。
ロシアが飽きもせず庭先を眺めやって、もう2時間ほどになる。
そろそろ昼を回る時間なのを見てやって、日本はすっと立ち上がった。
「・・・簡単なものでよろしければ、昼餉をお出ししますが」
「嬉しいな。お願いするよ」
そう言ってまた庭に視線を移す。
極寒の地に閉ざされた彼の人は、四季折々の移り変わりを見せる日本の気候がお気に召したようだった。

秋に萎んだ花が実を結ぶ様子に感激し、冬に散り落ちた木の葉が土地を肥やすことを知ると目を見張り、春に咲く満開の桜に感動して立ち尽くしていた。
そして何よりのロシアのお気に入りは、太陽を目指して咲き誇る花々にお目にかかれる夏のようだった。

しとしと。しとしと。
まるで音楽でも鑑賞するかのように、ロシアは雨の音に耳を澄ましていた。

「どうぞ」
「ありがとう」
日本が出した膳の上に乗ったおにぎりを見て、ロシアは笑った。
「君の国旗はここからきてるんだっけ」
「梅雨の季節ですので・・・。苦手でしたら、申し訳ありません」
「ううん。嫌いじゃないよ」

好きでもないけど。

そう言っておにぎりにかぶりつくロシアに、日本はこのやろうと内心で呟いた。
けれど、思い灰色に塗りつぶされた空でさえ目を細めて見つめる横顔を見ると、日本は何も言えなくなってしまう。

日本は誰よりも四季の移り変わりを愛していた。

そして日本と同じく四季の移り変わりに惹かれた、この極寒の地の住人の嬉しそうな顔を見ると、多少のことは我慢してしまうのだ。

「あれ。なんていうんだっけ」
「ツクバネウツギです」
「そうそう。実を取って空中に放り投げたらくるくるまわった花だ」
「ええ。貴方が片っ端から毟って放り投げてた花です」
「あれは楽しかったなぁ」
悪びれる様子もない。
「また花をつけたんだ。強いね」
秋に実を結んだ様子を思い出しているのだろう。ロシアは嬉しそうだった。
紙一重の危うさを含んだ無邪気さに阻まれて、日本はいつもロシアの真意を見透かすことができない。

「日本。ひまわりは植えないのかい?」
四季折々に様々な花を結ぶ日本の庭だったが、ロシアの一等お気に入りのひまわりだけが植えられていなかった。
「ええ。私の庭だと狭すぎるので」
本当はあえて植えていないだけだ。
ささやかな嫌がらせである。
「まぁ。あの花も好きだけど」
ロシアが指す先には、色とりどりのシャーベットを積み重ねたような花が咲き乱れていた。
「紫陽花っていうんでしょ?」
「よくご存知ですね」
「うん。面白い話を聞いてね」
「どんな話ですか?」
「色が変わるってことも聞いたな」
「ええ。そうですね。色が変わることから、よく人の心に例えられることも・・・」
「へえ。本当に色が変わるんだ。どうやったら変わるの?」
「それはともかく」
光の速さで話をそらす。
ツクバネウツギを毟っては投げ、毟っては投げ、を繰り返していた、子どものように残酷な無邪気さを発揮していたロシアの姿を思い出したので。
紫陽花の色が変わるとあらば、一人や二人ほど殺ってきかねない。

「他には、どんな話をお聞きになったので?」
「うん。女の子にプレゼントしたりするって話も聞いたよ」
「女性の方に・・・・・?」
日本は首を傾げた。
紫陽花は、心移りに例えられるような花だ。
女性に送る花には不向きである感が否めない。
「はじめて聞きました」
「まぁ、日本人にしか使えない手らしいけど」
「???」
「日本、紫陽花って漢字で書ける?」
「ええ。まぁ・・・」

そっと雨の降る庭先に手を伸ばし、雨粒を掬い取る。
縁側の木目に、手に伝わせた雨粒で文字を書く。
日本の白く細い手首をロシアが目を細めて見つめていた。
何度かそれを繰り返すと「紫陽花」の文字を書き終える。

「これであってるはずですが」
「うん。これ声に出して読んでくれる?音読みで」
「?しよ・・・・・」

そこまで言ったところで、日本の顔が鮮やかな朱に染まった。

紫陽花。

音読みで・・・って、なるほど確かに。日本人にしか使えない手ではある。

「なんだ。残念」
明らかにそうは思っていない口調でロシアが言った。
「たまには君から言ってほしいなと思ったんだけど」
朱に染まった顔で、日本が声もなく口をぱくぱくさせている隙に、ロシアがごろりと横になった。
日本の膝の上を陣取ると、雨に濡れそぼる庭を眺めてご満悦である。
「これで我慢しとこうかな」
楽しそうな声に、日本は肩の力を抜いた。
ここまでされると逆に何も言う気が失せてしまう。
金の髪を手で撫ぜながら、日本は笑いながら言った。
「雨が止んだら帰ってくださいね」
「喜んで」

極寒の地の彼の人は、長い梅雨入りに入ろうとする庭先を嬉しそうに眺めやった。